https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6139a616e4b09519c5003c34

 

コラム・オピニオン2021年09月10日 11時39分 JST

『映画 太陽の子』。何度だって、私は「三浦春馬」に出会っていた。

(『電影太陽之子』。不管多少次,我跟「三浦春馬」相遇。)

 

【加藤藍子のコレを推したい、第12回】『映画 太陽の子』。戦禍を生きた3人の「生」が眩しく輝くほどに、それを脅かす戦争の醜さが際立って迫ってくる。

([加藤藍子的想要推薦這個,第12回]『電影太陽之子』。活在戰亂中的三個人的「生命」閃亮耀眼,讓人深深感到威脅他們的生活的戰爭的醜惡。)

 

 

戦争を描いた作品と言われてすぐに頭に浮かぶのは、『はだしのゲン』や『火垂るの墓』だ。原作者の壮絶な実体験を基に描かれたそれらの作品に私が触れたのは、小学生のころ。戦争を知らない世代の一人として大きな衝撃を受け、「絶対に繰り返してはならないことなんだ」と心に刻んだのを覚えている。

ただ、近年指摘されているように、第2次世界大戦を経験した人たちは亡くなっていく。社会が共有する「戦争の記憶」が薄れていく。そんな中で、直接的な描写よりも「普通」の人々の日常に光を当て、戦争を描き直そうとする試みが目立つ。アニメ映画『この世界の片隅に』(2016年)などが代表的だが、今回取り上げる『映画 太陽の子』(2021年8月から公開中)も、この系譜に位置付けられる作品だろう。

(提到描寫戰爭的作品的話,馬上浮現在腦海裡的是『はだしのゲン』和『螢火蟲之墓』。接觸到基於原作者實際體驗過悲壯的經驗而描寫的作品是在我小學生的時候。身為不知道戰爭為何物的世代的一個人,那時受到了非常大的衝擊,還記得那時心中想著「絕對不能再讓這樣的事情發生了」。

只是,就像近年來大家說的那樣,經歷過第二次世界大戰的人們漸漸都離世了。整個是會共有的「戰爭的記憶」漸漸淡薄了。在那其中,比起直接描寫戰爭,說到描寫那時「普通」的人們的日常生活的作品裡,這次的『電影太陽之子』也算在其中吧。)<—最後幾句不太確定意思

 

夏の木々の緑、砂浜の白、海の青。戦禍を生きた3人の若者を中心に物語は展開するが、彼らの豊かな表情や、取り巻く風景の美しさが、観る者の心に深く長く、残る。戦争は光あふれていたはずの世界に禍々しい影を落とし、葛藤や破壊をもたらすものとして描かれる。

事実、公式パンフレットによれば、本作の企画のきっかけになったのは、脚本・監督の黒崎博が、若い科学者が1945年当時に残した日記を読んだことだという。「日本でも原子爆弾の開発実験をしていたという事実に驚く一方で、毎日を一所懸命生きていた、我々と同じように丁寧に生きる若者たちの姿も見えた」と黒崎はインタビューで語っている。

(夏日裡的綠樹,白色的海灘,藍色的海。以生於戰亂之中的三個年輕人為中心展開這個故事,他們豐富的表情,美麗的風景,又深又遠地殘留在觀眾的心裡。電影描寫著戰爭讓來應該充滿光亮的世界覆蓋上了陰影,帶來了糾葛和破壞。

事實上,根據官方電影場刊裡的說明,這個作品開始的契機是擔任劇本和導演的黑崎博桑偶然讀到1945年當時的年輕科學研究者留下來的日記。「一方面對於日本那時也在研發原子彈這樣的事實感到驚訝,同時看到了每天拼盡全力去活,跟我們一樣認真去生活的年輕人的身影。」黑崎導演在專訪裡這麼說。)

 

【物語のあらすじ】

「この研究が成功すれば戦争は終わる」と信じて実験に没頭する若き科学者・石村修(柳楽優弥)。太平洋戦争終盤、軍から命を受けた京都帝国大学物理研究室では、研究員たちが原子核爆弾の開発を急いでいた。そんな中、建物疎開で家を失った修の幼なじみ・朝倉世津(有村架純)が、修と母の家で暮らすことに。1945年初夏、修の弟・裕之(三浦春馬)も戦地から一時帰宅し、3人は久しぶりの再会を喜ぶ。戦争の恐怖と葛藤しながらも、未来を見ようとする3人。しかし、裕之は戦地へ戻り、8月6日、日本に原子爆弾が落とされる――。

(這段是劇情簡介,跳過不翻)

 

―――

研究を成功させれば数え切れない人命を奪う兵器になる。だが、失敗すれば敵国が完成させてしまう――そんな葛藤の狭間に立たされた科学者たちの苦悩と、その外側にある人々の暮らしを、本作はまるで天から俯瞰するように、静謐なタッチで映し取っている。

柳楽優弥、有村架純、三浦春馬の演技から伝わってきたのは、「私が『私』として生き、死んでいくこと」が許されないことへの憤りだった。3人の「生」が眩しく輝くほどに、それを脅かす戦争の醜さが際立って迫ってくる。

柳楽が演じる修は心優しい青年で、原子物理学を愛している。研究に熱心に打ち込むのは「私」として真っ当なことだが、やがてその研究が「何をもたらすのか」に直面させられ、苦しむことになる。真理へ近づいていく興奮と、それが殺戮へとつながってしまう恐怖。物静かで声を荒げることがない青年だが、矛盾する感情に引き裂かれ、焦点が合わなくなっていくようなその表情は、悲痛を「叫んで」いるように映った。

(研究成功的話,會成為奪走數不盡的人的生命的武器。但是,失敗的話,敵國完成了他的們的研究。。。夾在這樣的糾葛中的年輕科學家們的苦惱,和在那以外的人們的生活,這個作品像是在俯瞰著他們,靜謐地把這樣的畫面捕捉下來。

從柳樂優彌,有村架純,和三浦春馬的演技傳達出來的是對於不能「我以身為『我』去活和去面對死亡」這樣的事情的憤怒。三個人的「活」是讓人目眩的程度那般閃耀,跟威脅著這些的戰爭的醜惡產生了強烈的對比。

柳樂飾演的修是個溫柔的青年,深愛著原子物理學。對研究付出熱情是身為「我」最直接的表現,但是直面了對於那個研究「會帶來什麼?」而變得痛苦了。對於接近真理而感到興奮,對於研究和殺戮連結了起來的恐怖。雖然平時是個安靜又不太會對別人很大聲的青年,但是因為矛盾的情感讓他爆發了,失焦了一般的表情,像是「吶喊著」悲痛,映射在電影畫面裡。)

 

有村演じる世津は、戦争の只中にあってなお、「戦後」の未来を見据え続ける強さが印象的な女性だ。彼女は、軍の紡績工場で共に働く少女が「はよ結婚して、ぎょうさん子ども産んで、お国のために捧げます」と無邪気に胸を張る姿を目にする。世の中全体がそうした異常な空気に覆われているとき、「そう言わせているのはうちら大人や」と怒り、「戦争が終わったら教師になる」と宣言できる世津は聡明だ。

「戦争なんか、早う終わればええ。勝っても負けても、構わん」。作中、絞り出すようにつぶやくその言葉には、戦争という巨大な暴力にさらされてなお、「私」としての選択を手放すまいとする彼女の意志の強さが滲む。

(有村飾演的世津是雖然正處於戰亂之中,但是仍然堅強地持續把目光放向「戰後」的未來的令人印象深刻的女性。她親眼目睹了同在軍用紡織工廠裡一起工作的少女天真又驕傲地說「想早點結婚,生很多孩子,奉獻給國家」。對於世界整個被這樣異常的氣氛覆蓋了的時候,憤怒地說「會讓她們這麼說(想)的是我們這些大人啊!」還宣告「戰爭結束後要當老師」的世津是聰明的。

「戰爭什麼的,早點結束就好了。管它勝敗。」在作品裡,費力說出來的這句話裡滲出來的是就算被所謂戰爭這樣巨大的暴力壓迫,她仍不打算放棄以「自我」所做的選擇的強烈意志。)

 

そして、三浦演じる裕之。控えめな兄の修とは対照的に、明るく、たくましく、そこにいるだけで周囲に柔らかな陽だまりができるような青年だ。

黒崎監督は、公式パンフレットのインタビューの中で、三浦のことを次のように語っている。

「(裕之は)太陽みたいな存在でいてほしい。そう思った時に春馬君が浮かんできました」

「(撮影現場では)人生の瞬間、瞬間を精一杯生きている若者たちなので、そのエネルギー感をどうやって表現するかということを一所懸命考えている、という印象でした。(中略)現場での演技も生のエネルギーが爆発しているということをいつも感じていました」

(然後,三浦所飾演的裕之。對比於低調內向的哥哥,修,裕之是開朗,意志堅強,只是在那裡,周圍就會像是被溫柔的陽光照射到那樣的青年。

黑崎導演在官方的電影簡介的採訪中,說了下面的話。

「希望(裕之)是像太陽一般的存在。當我這麼想的時候,春馬君就浮現在我腦海中。」

「(在拍攝現場)因為是飾演全力去活在人生的每一個瞬間的年輕人們,那個能量感要怎麼表現才好,他拼命思考著,拍攝時是這樣的印象。(中略)在現場的演技也總是讓我感覺到活生生的能量在爆發中。」)

 

その言葉の通り、三浦は適任だったと思う。この作品の本質と、裕之というキャラクターに求められている役割を存分に理解して演じていたと感じた。

裕之は肺の療養のため一時帰郷するが、再び戦地へ赴き、最終的には命を落としてしまう役だ。その儚さや、悲劇性を強調して演じることは、かえって容易いことだろう。三浦はそうしたアプローチではなく、前線での壮絶な戦いによってトラウマを抱えながらも、柔らかい光で周囲を照らし続けた裕之の「生」を描き切っていた。

本作は2020年8月に、テレビドラマ用に編集されたバージョンが地上波放送された。作中には裕之が、前線で死ぬのが怖いと泣きながら夜明け前の故郷の海で入水自殺を図り、修と世津に止められるシーンがある。演じる三浦の急逝が報じられて間もなかったこともあり、当時は好奇心混じりに「本人と重なる」などと騒がれた。

(就如導演所說,我覺得三浦是非常適合這個角色的。我覺得他是充分地理解了這個作品的本質和裕之這個人物扮演的角色才去演出的。

裕之雖然為了療養肺病暫時回家,但是是後來再次前往戰場,最終失去了生命的角色。去強調那個短暫如夢和悲劇性反而是容易的吧。三浦並不採取那樣的方式,而是即使抱著因為在前線悲壯的戰事而導致的心理創傷也繼續以溫柔的光照射周圍,努力去描寫裕之是怎麼去「活」的。

這個作品在2020年8月,在電視上播出了由電影畫面編輯出來的電視版。劇中有裕之因為對於要到前線送上自己的生命感到恐懼一邊哭一邊在天亮前走入故鄉的海裡,意圖投海結束自己的生命,被修和世津阻止的一幕。那時離報導飾演裕之的三浦突然離開我們也沒多久,當時有很多混雜了好奇心說「跟本人重合了」等等的騷動。)<--好像是說那時候有很多人覺得春馬在演出這一幕的時候就想著真要尋短了。。。

 

だが、本作をしっかりと見ていれば分かる。この場面で裕之が「俺だけが死なんわけにいかん」と泣きじゃくるのは、「死にたくないから」だ。人の生がいつか、あっけなく終わってしまうのだとしても、その道程を「私」として全うできないことへの、涙ながらの抵抗だ。三浦は全身で、裕之がどう生きたか、生きたかったかを語っていたと思う。このメッセージが、今こそあの当時よりもっとまっすぐに、観る人たちに伝わってくれることを願う。

(但是,好好去看這部作品的話就會了解。這個場面的裕之啜泣著說「不能只有我不死」的是「因為我不想死」。人的生命哪一天就算知道沒多久就要結束了,也會因為不能以「我」的身份走完全程而流淚抗拒。我覺得三浦是用全身來訴說裕之是怎麼活的,是怎麼想活下去的。這個信息,正因為是現在,希望能夠比當時更直接地傳達到看這部電影的人們那裡。)<--加藤籃子桑的想法好像是覺得,春馬那時是全身全靈地在演出,並不是真的想尋短。

 

**

ここまで、作品について書いてきた。一方で、過去にも書いたように私は、三浦春馬という俳優をずっと推してきた。大好きだ。だからもう少しだけ、彼について語らせてほしい。

この映画が、三浦春馬の最後の作品だという事実を、いまだに受け入れられない自分がいる。黒崎によれば、彼は本作の脚本を読んだとき「これを映像化できるのだったら絶対自分は演じたい」と言ったという。作品が世に出るころ、まさか自分が舞台挨拶にも立てない状態になるなんて想像していなかっただろう。それぐらいに彼の演技は、プラスのエネルギーに満ちていた。

なぜ、この作品に強く惹かれたのだろう。この挑戦の先に、どんな未来を歩んでいきたいと思い描いていたのだろう。話を聞きたいのに、いくら待っても、彼は一向に語ってくれない。考えてみれば当然なのだが、今頃になって骨身に沁みている。 

(至今,一直寫著跟作品相關的事情。另一方面,跟我以前寫過的一樣,我一直都支持著三浦春馬這位演員。最喜歡他了。因此,想要再說一點點跟他相關的事情。

這個電影是三浦春馬的最後的作品這樣的事實,我現在還是沒有辦法接受。黑崎導演說,他(春馬)讀了這個劇本的時候說「如果這個作品可以拍成電影的話,自己絕對想要演」。他一定想都沒想過這個作品問世的時候,竟然會是自己沒有辦法出席舞台問候的狀態吧。是像那樣的程度,他以他的演技為這個作品增加了滿滿的正能量。

為什麼會被這個作品強烈地吸引了呢?在這個挑戰之後,會走向什麼樣的未來呢,這在你的腦海裡是怎麼樣描繪的呢?雖然想聽他說,但是在怎麼等待,他也沒辦法像以往那樣訴說給我們聽了。想也知道這是當然的事,但是變成現在這樣真的深深刺痛到我的身體骨頭最深處。)

 

彼が急逝したあの日からも、出演作が新しく公開されるたび、映画館に足を運んだ。素晴らしい作品もあったし、そうは感じないものもあった。そしてふと、ずっと当たり前だと思ってきたものが欠けていることに気付いた。

「推しとこの役を出会わせてくれてありがとう!」とはしゃぎながら、友人や家族に「チケット代は私が出すから観て!」なんて半ば無理やり“布教”したこと。「この作品はうちの春馬のよさを全く生かしきれていない……」などとブツブツ不満を言いながら、「次はこんな役を演じてほしい」「こんな脚本家の作品に出てほしい」と勝手な夢を語ったこと。

そんな全てが、遠い景色になってしまった。同じ「三浦春馬」を見ているのに、あの日以前と以後では、私自身が変わってしまった。

この喪失感の引き受け方に思いを巡らせながら、彼が演じる裕之を見つめた。修や世津と「いっぱい、未来の話しよう」と笑う瞳。たまった涙が輝いていて、苦しいのに、美しい。出征を見送る母に敬礼する指先が、かすかに震える演技がこまやかだ――。気が付いたら、裕之を通して何度だって、私は「三浦春馬」に出会っていた。

(在他突然離開我們的那天以後也是,每次有新作品公開的時候,我都會去電影院欣賞。有很精彩的作品,也有不這麼感覺的東西。然後,突然意識到,缺少了一直以來視為理所當然的事情。

一邊興奮地說著「感謝能和自己支持的人和這個角色相遇!」,一邊說著「電影票錢我幫你出就是了,快去看吧!」向朋友和家人半強制地“傳教”這樣的事情。一邊有點不滿地說「這個作品沒有辦法把我們家春馬的優點全部活用展現出來。。。」等等,一邊「下次希望可以演出這樣的角色」或是「希望可以演出這個劇本家的作品」等等自作主張地說著夢想這樣的事情。

這所有的全部,都變成很遙遠的光景了。雖然看著同樣的「三浦春馬」,但是那一天以前和以後,我自己改變了。

在思考著怎麼去接受這個喪失感的同時,仔細凝視了他所飾演的裕之。跟修和世津說「來說說很多關於未來的事情吧」,那會笑的眼睛。眼角的淚光閃閃發光著,雖然很痛苦難過,但是非常美。跟來送他出征的母親敬禮的時候的指尖,微微地顫抖的演技非常細緻。。。等我注意到的時候,透過裕之,不知多少次,我跟「三浦春馬」相遇了。)

 

同じ時代を生き、未来を共有していける存在ではなくなった「推し」を、推し続けることはできるものなのか。私は、その問いに全力で「できる」と答えたい。

三浦春馬さんへ。あなたは多くを語らなかったけれど、頑張り続ける日々の中で、苦痛を感じたり、すべて手放して諦めたくなったりした日もあったと思う。そんな日々をきっと幾度もかいくぐって、魂のこもった作品を届け続けてくれて、ありがとう。おかげ様であなたの物語は、もうあなた一人のものではありません。残してくれたすべての作品が、あなたが懸命に生きた、生きようとした証です。その「証」を通じて、私たちはいつでもあなたに会える。「いないこと」の苦しさも含めて、大切にしていきます。新しい作品を見られなくなるのはやっぱり悔しいけれど、素敵なあなたの片鱗を何度でも発見して、推し続けていきたいと思います。

(對於變成了不再是活在同一個時代並能夠共享未來的存在的「我的推/支持的人」,是不是能夠繼續支持下去呢?我對於這個問題,想要全力去回答「我可以」!

給三浦春馬桑。你雖然沒有說過很多,但是持續努力的每一天裡,我想你也有感覺到痛苦,想要完全鬆手放棄一切的時候。在那樣的每一天裡,肯定有好多次也跨越了痛苦,持續地把注入了你的靈魂的作品呈現給我們,真的非常感謝。幸好你的故事已經不只是你一個人的東西了。你留下來的全部的作品是你努力活過,努力去活的證據。透過那個「證據」,我們任何時候都可以與你相遇。也包含了「不在了」的痛苦,我都會慎重地去珍惜。再也沒辦法看到新的作品果然讓人非常不甘心,但是我想從精彩的你的一鱗半爪裡無數次地去發掘,今後也一直繼續支持你。)

(取材・文:加藤藍子@aikowork521 編集:泉谷由梨子@IzutaniYuriko

 

----- (完) -----

 

我的回答也是,「我可以!!!」

我從來沒有把裕之這個角色跟去年七月發生的事情聯想在一起。

至少海邊那一幕,我沒有那樣去聯想。

雖然我很難過,但是看這部劇,還有這部電影的時候,我看到的就是裕之。

雖然看到裕之要歸隊的時候非常傷心捨不得。

裕之的信更是。。。讓我哭個不停。

但是春馬的演出是他努力思考全心全意去表現的結果,我得專心地去關注以裕之存在的他。

他即使有痛苦和煩惱,他仍無數次地跨越所有的痛苦,帶給了我們難以忘懷的每一個角色。

真的只有太多太多的感謝了~

今後也希望大家能繼續去溫習春馬的作品,不斷去發現每個細節,繼續去支持春馬吧!

我知道我可以的!