元二世の中には、今の生活を楽しんでいる人がたくさんいるようです。
そりゃあもちろん、時々は古傷が痛む事もあるでしょう。
それでも大丈夫、ちゃんと平常に戻れる人たち。
ちょっと羨ましいな、と思って違いを考えてみました。
そういう人達と、どちらかというと辛さに気持ちを持っていかれがちな人達…
SNSやブログにはそういった人の投稿が多いのですが
中には 少数派でしょうが 今を楽しんで生きている人がいるのです。
彼らは等しく、今が幸せなのです。
大きく捉えて、今、満ち足りて暮らしているのです。
この「満ち足りて」というのは、物質的な事ではないのでしょう。
精神的に満ち足りている、というのも少し違和感を感じます。
だって、古傷は時々痛むのだから…
一体、何があって満ち足りているのか、と考えた時、「心を許せる人達に囲まれているかどうか」なのでは?と思いました。
自分の周囲の人間関係が、揺らぎないものがあって、暖かくて、信頼できて、ありのままの自分を出し合えるものであること。
そこが一番大きな違いなのではないかしら。
その相手は家族の中の配偶者かもしれない、同じ二世の血縁の兄弟や親せきかもしれない。
もしかしたら、宗教とは関係ない人脈の 友人や同僚かもしれない。
とにかく、自分を徹底的に曝け出すことができる人がいて、暖かな人間関係を築けているのだと思う。
自分が自分でいてもいい そんな居場所を持っている人たち。
私たち宗教二世は、親に対して自分を曝け出せなかった。
それは、ダメな自分を認める事であり、宗教的には落第点を認める事だった。
そんな過去の経験から
つい 人間関係に深入りできない私。
自分の何もかもを受け入れてくれる人に巡り合えない私。
いや、違うな。
巡り合っているのに 自分を出し切れず いつもどこか不完全燃焼でスッキリしない私。
なのかな。
ハーバード大学の研究によると
「私たちの幸福と健康を高めてくれるのはいい人間関係である」
75年の追跡調査の結果だそうです。
この記事 ↓ 何度も読んでます。衝撃的だけど納得。
一生を通して、暖かな人間関係を築き、その中にいる人は幸せ。
その通りだと思いませんか。
インドから帰って 「人生」とか「幸せ」とか「楽しむ」ってことを
頭の中でぐるぐる考えている私の結論です。
ありのままの自分でいることができる人と 時を過ごしましょう。
人生は「楽しむ」ためにあるのです。
もう、これに尽きるのです。
楽しい であふれる人生にしたい。
長くなるので また次回。