【宗教二世特徴】JWやめた後でも 幸せな人に共通していること | 生きづらさを抱えたまま50代を過ごす元JW2世のつぶやきブログ

生きづらさを抱えたまま50代を過ごす元JW2世のつぶやきブログ

生きづらいのは、自分に原因があるのか、脱会したとはいえ思春期にうけたJWの教えの後遺症か。。。
同じ思いで生きている人の助けになれば、私の経験も無駄ではないかもしれません。還暦近くになって離婚となりそうな話も。

元二世の中には、今の生活を楽しんでいる人がたくさんいるようです。

 

 

そりゃあもちろん、時々は古傷が痛む事もあるでしょう。

それでも大丈夫、ちゃんと平常に戻れる人たち。 

 




 

 ちょっと羨ましいな、と思って違いを考えてみました。

 

そういう人達と、どちらかというと辛さに気持ちを持っていかれがちな人達…

SNSやブログにはそういった人の投稿が多いのですが

中には 少数派でしょうが 今を楽しんで生きている人がいるのです。

 
 

彼らは等しく、今が幸せなのです。

大きく捉えて、今、満ち足りて暮らしているのです。

 

 

この「満ち足りて」というのは、物質的な事ではないのでしょう。

精神的に満ち足りている、というのも少し違和感を感じます。

だって、古傷は時々痛むのだから…

 

 

一体、何があって満ち足りているのか、と考えた時、「心を許せる人達に囲まれているかどうか」なのでは?と思いました。

 

自分の周囲の人間関係が、揺らぎないものがあって、暖かくて、信頼できて、ありのままの自分を出し合えるものであること。

 

そこが一番大きな違いなのではないかしら。

 

その相手は家族の中の配偶者かもしれない、同じ二世の血縁の兄弟や親せきかもしれない。

もしかしたら、宗教とは関係ない人脈の 友人や同僚かもしれない。

 

とにかく、自分を徹底的に曝け出すことができる人がいて、暖かな人間関係を築けているのだと思う。

 

自分が自分でいてもいい そんな居場所を持っている人たち。

 

 

 

私たち宗教二世は、親に対して自分を曝け出せなかった。

それは、ダメな自分を認める事であり、宗教的には落第点を認める事だった。

 

 

そんな過去の経験から

つい 人間関係に深入りできない私。

自分の何もかもを受け入れてくれる人に巡り合えない私。

 

いや、違うな。

巡り合っているのに 自分を出し切れず いつもどこか不完全燃焼でスッキリしない私。

 

なのかな。

 

 

 

ハーバード大学の研究によると

「私たちの幸福と健康を高めてくれるのはいい人間関係である」 

 

75年の追跡調査の結果だそうです。

 

この記事 ↓ 何度も読んでます。衝撃的だけど納得。

 

 

 

 

 

 一生を通して、暖かな人間関係を築き、その中にいる人は幸せ。

 

 

その通りだと思いませんか。

 

 

 

インドから帰って 「人生」とか「幸せ」とか「楽しむ」ってことを

頭の中でぐるぐる考えている私の結論です。

 

 

 

ありのままの自分でいることができる人と 時を過ごしましょう。

人生は「楽しむ」ためにあるのです。

 

 

もう、これに尽きるのです。

楽しい であふれる人生にしたい。

 

 

長くなるので また次回。