傷つくその言葉 ホントは自分の思いが反映されてるのかも | 生きづらさを抱えたまま50代を過ごす元JW2世のつぶやきブログ

生きづらさを抱えたまま50代を過ごす元JW2世のつぶやきブログ

生きづらいのは、自分に原因があるのか、脱会したとはいえ思春期にうけたJWの教えの後遺症か。。。
同じ思いで生きている人の助けになれば、私の経験も無駄ではないかもしれません。還暦近くになって離婚となりそうな話も。

昔の事なんだから(もう忘れたらどうよ)

とか

そんな事は多かれ少なかれみんな経験してるのだから(自分だけ不幸ぶらないでよ)

とか

他人から言われて悲しかったり、ムッとした事がよくありました。

 

あなたはどうですか?

 

 

私たち二世は、辛さを堪えて、外には出さずに生きてきました。

その辛さを、やっとの思いで、またはうっかり?誰かに打ち明けたら、そんな言葉で慰められた。

 

二次被害…

 

でもね、これ、もしかしたら

自分が自分に言い聞かせている言葉なのかもしれないね。

 

 

 

先日、母から そう言われたのですが・・・

事の発端は、義務教育中の子どもにも年休のように平日学校を自由に休める制度が始まる、というニュースを一緒に見ての会話。

 

 

「もうこれで JWの子も”大会だから休みます”と先生に証言しなくても済むね」

と私が言ったら

 

「またそんな昔の事を言って。いつまでもいやらしいねえ。」

と顔をしかめる…

 

そんな会話で「はいはい、私はどうせいつまでもねちねちしてますよー」とムッとしたのです。

 

 

 

でもその一方で「あー、私、いつまで恨めしく思ったら気が済むのだろう」って自己嫌悪…

 

 

そうなんです。

自分で分かっていることを、他人が口に出したから不愉快になったの。

 

やれやれ・・・

 

 

まあ、毎度のことですが

 

こんな時は意識の軌道修正、軌道修正!

 

最初は、そんな事を感じながら生きてる自分を認めてあげる。

そして、そう思ってしまう不愉快に感じてしまった自分を許してあげる。

 

 

 

宗教二世の癒しは一朝一夕にはいかないのでしょう

だから焦らず、

少しずつでもいいから 自分に優しくしてあげる。

 

 

誰が何と言おうと

自分だけは自分の味方でいてあげよう

 

 

もう、それしかないね。

 

 

私は私の味方です。

私はあなたの味方だよ。