JWをやっていた間も
JWをやめてからも
あの人みたいになりたい
とか
あんな風に生きていけばいいんだ
という
生き方のお手本というか
ロールモデルになる人がいなかった。
いい意味でも
悪い意味でも
どうやったらいいのかは
自分で見つけていかないといけなかった。
私がJWだったのは
’70~’80年代の
いわばJWの日本での駆け出しの頃。
会衆では
私が子どもの最年長。
30歳を過ぎた独身の
特別開拓者の姉妹はいたけれど
実家が
とても裕福なお嬢様で
なんというか
庶民離れしていたから
あんな風にはなれないと
子ども心に分かっていた。
おまけに
私は長女。
JWでいるときも
JWをやめてからも
妹たちは
私をみて
「あんな風にしたらうまくやれる」
とか
「あれじゃあ怒られるよね」
とか
JWやめると宣言するやり方とか
JWやめて、どう家族の中で生活するのか
とか
なにしろ
長女の私が一日の大半を使って
悩んでいたことを
彼女らは
いとも簡単に乗り越えていた。
(私から見れば、)
まだ現役なのに
上手に部活の部長をやってたり
世の男の子たちと平気で遊びに行ったり
長女の自分を呪ったわ
JWをやめてからは
なおのこと生き方が分からない。
今までと
全く違う価値観の中
何に価値を置くのかは
もう
親も教えてくれないし
周囲から距離を置いて学生生活をしていたから
誰にも
聞けない。
情報が入ってこないアナログな時代
一般の人の
生活なんて
全く分からなかった。
インターネットなんてない時代。
テレビと雑誌が
唯一の情報源
バブルに沸き立つ前夜の日本。
バブル時代に働いて
地に足を付けて
生きることがばかばかしかった時代。
それが
世の人になるという事なんだと
勝手に思い込んで
浮かれて終わった
20代。
もったいなかったな。
だれか
ひとりでもいから
こんなふうに
生きてみなよ
と教えてくれる人が
そばにいたらよかったな。
ああ
私、よくやってきたよね。
何だか知らないけど
頑張ってきたよね。
独りで考えて
独りで悩んで
独りで決めて・・・
私、頑張ってきたんだよ
このごろ
落ち込みがちなので
書いて
自分を癒します。