子どものころから居場所がなかった | 生きづらさを抱えたまま50代を過ごす元JW2世のつぶやきブログ

生きづらさを抱えたまま50代を過ごす元JW2世のつぶやきブログ

生きづらいのは、自分に原因があるのか、脱会したとはいえ思春期にうけたJWの教えの後遺症か。。。
同じ思いで生きている人の助けになれば、私の経験も無駄ではないかもしれません。還暦近くになって離婚となりそうな話も。

自分が

心穏やかに

 

落ちついていられる場所がなかった。

 

 

 

振返ってみれば

 

子どものころから

なかった。

 

 

 

いつも

やや緊張して

 

 

いつも

周囲の大人の顔色をうかがって

 

 

いつも

ちゃんとできているか

自分を見張って

 

 

 

 

 

そんなことしていたら

自分の家にいたって

落ち着くはずがないよね。。。

 

 

 

だから

甘えることも

できなかったんだよ。

 

 

結婚しても

同じこと。

 

 

 

いつも

相手の顔色が気になり

ご機嫌をうかがい

ビクビクしていた。

 

 

 

ホッとできる場所が

なかった。

 

 

 

居場所って

大切。

 

 

 

自分が

ありのままでいられる場所。

それが

居場所

 

 

 

自分のありのままが

赦される場所。

 

 

 

どこにあるかな。

 

 

 

今まで

ず~~っと

自分はもっと上を目指さなきゃいけない

 

今のままではいけない

 

そう思ってたし

そう思うべきだと信じてた。

 

 

人は常に進歩し続けなければいけない

人は現状に満足してはいけない。

 

 

だから

ありのままの自分に

✖を付けてきた。

 

 

 

そんなんだから

居場所なんて

見つからないよね。

 

 

 

いまのままでいい。

自分のままでいい。

 

 

飾らなくても

見栄を張らなくても

理想じゃなくても

 

 

 

ありのままの自分を

大切にする。

 

 

 

 

そんなところから

始めないと

 

 

どうやら

私の居場所は

見つからないようです。

 

 

 

 

分かっただけでも

大きな一歩合格