怒りを出し切った後にやっと見えてくるもの | 生きづらさを抱えたまま50代を過ごす元JW2世のつぶやきブログ

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生きづらいのは、自分に原因があるのか、脱会したとはいえ思春期にうけたJWの教えの後遺症か。。。
同じ思いで生きている人の助けになれば、私の経験も無駄ではないかもしれません。還暦近くになって離婚となりそうな話も。

「怒り」という

やっかいな感情

 

 

 

私は

どうやら

自分を守るために

この「怒り」を出していたらしい。

 

 

 

 

昨日の記事

 

 

 

怒り」は

自分の中の

第2感情

 

たしか心理学で

そう習った記憶がある。

 

 

最近では

心理学者の

野口嘉則さんからもそう学んだ

 

 

 

 

結局、

最初に別の「第一感情」

があって

 

 

でも

それを表に出せないから

「怒り」という感情=「第二感情」

を出して

ごまかしている

 

 

みたいな話だった。

 

 

 

あーそうか。

いまになってやっと

腑に落ちた。

 

 

 

そういう事なんだ!

 

 

私は

 

「親に取り合ってもらえない可哀そうな子」で

「何を言っても聞いてもらえない惨めな子」で

 

「夫にバカにされる哀れな妻」で

「夫に優しくしてもらえない淋しい妻」で

 

「子どものしつけができないダメ母」

と言われやしないか

不安で心配で

 

 

 

 

 

結局

そういう

「みじめ」とか

「あわれ」とか

「淋しい」「悲しい」「不安」

 

といった気持ちを

感じないで済むように

「怒り」

という

手っ取り早い感情を出すことで

ごまかしていたんだ。。。

 

 

 

自分は

惨めでも可哀そうでもないんだ

 

自分は

淋しい弱虫なんかじゃないんだ

 

 

 

そう思いたかったんだ。

 

 

 

だから

「怒り」をだだすことで

弱気な感情を見て見ぬふりをしていたんだ。

 

 

 

 

 

でも

 

 

 

 

本当は

 

 

ほんとのほんとは

 

 

 

 

みじめだったし

 

悲しかったし

 

淋しかった

 

不安だった

 

 

 

 

 

素直じゃなかったってことかなあ

 

 

 

まあ、

そうなんだろな。

 

 

 

でも

そうやって

身を守ることしか知らなかったのだから

 

 

 

そんな自分を

自分でハグしてあげよう

 

 

 

 

自分を癒せるのは

究極

自分なのだから