昭和のJWのこと:ゆるカフェでの質問にお答えします | 生きづらさを抱えたまま50代を過ごす元JW2世のつぶやきブログ

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生きづらいのは、自分に原因があるのか、脱会したとはいえ思春期にうけたJWの教えの後遺症か。。。
同じ思いで生きている人の助けになれば、私の経験も無駄ではないかもしれません。還暦近くになって離婚となりそうな話も。

ゆるカフェで

質問されていたことがありました

 

 

私の現役JW時代

昭和40~50年代の

JWって

どんなかんじでしたか?

 

 

 

と聞かれて

お答えしようと思ったら

時間切れになってしまってたので

 

 

 

 

 

 

 

 

両親が入信したのは

昭和40年代の後半

 

 

日本の景気はどんどん良くなっていて

大阪の万博も

大成功のうちに終わったころでした

 

 

 

 

当時は

日本におけるJWの黎明期

 

 

 

まだまだ

信者数の少ない

マイナーな新興の宗教でした

 

 

 

 

以前ブログにも書いたのですが

 

本当に

初期の頃のJWは

どちらかというと

富裕層っぽい

インテリっぽい

上品な方が多かった印象です

 

 

 

西洋文化?に

理解のあるような

 

 

両親が

学んだ方も

とても品のいい

お金持ちのお嬢さんが

お年を召した方でした

 

 

 

 

本当に

私も

あんな雰囲気の方には

当時

あったことが無く

驚いて

自分まで

おしとやかになったのを

覚えています

 

 

 

その姉妹のことは

ずっと大好きでした

尊敬もしていました

 

 

大きなお屋敷に住んでいて

素敵なお庭にある離れを

宣教師たちに

貸していましたっけ

 

 

 

私の中では

当時のJWは

本当に「羊のような人たち」

だったという

まあ、

印象はさほど悪くないです

 

 

 

 

「エホ証ルック」

は当時から健在で

 

お上品なワンピースや

キチンとしたお洋服が

良き事 とされてましたね

 

 

 

当時はやり出した

ジーンズ

(一般市民にはこの頃やっと

ジーンズなるものの存在を知るのです)

この

ジーンズは

禁止でした(泣)

 

 

 

もちろん

ホットパンツという

まあ、ショートパンツも

当然禁止

 

 

 

お洒落に目覚め始めた

小学生高学年の女子には

 

当時の流行りは

全て両親に

否定されて

 

素敵な流行りの服を着て

投稿する友人が

羨ましくてうらやましくて・・・・・

 

 

まあすべてがそんな生活でした

 

 

 

 

 

 

会衆は

一言でいえば

ゆるかったです

 

 

昭和50年代は

信者を増やすことが

第一で

 

主婦層が

どんどん増えていました

 

 

集会会場の椅子に

座りきれず

立ち見の人も

毎回いましたね

 

 

 

集会は

幼い子供を連れた主婦で

あふれかえり

ちょっとでも泣こうものなら

会場から

親が引っ張り出して

トイレで鞭

鳴き声が会場まで

響き渡る

 

 

 

そんな

かんじ

 

 

 

でも

ゆるかったというのは

 

 

 

 

 

集まる人は

みんな優しい感じの人で

 

お互い見張りあう

とか

誰かの悪口を言い合う

とかはなくて

 

 

ただ

主婦が増え、

ご主人から

激しく反対されている信者が増え

(迫害ってやつです)

 

 

怒ったご主人が

集会に乗り込んできたり

 

長老だった父に

物申しにきたり・・・・・・・

 

 

 

そのころから

会衆の雰囲気が

緊張してきたように

記憶しています

 

 

 

 

長くなるので

また書きます