私の人生は宗教・家族・お金がテーマなのかも | 生きづらさを抱えたまま50代を過ごす元JW2世のつぶやきブログ

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生きづらいのは、自分に原因があるのか、脱会したとはいえ思春期にうけたJWの教えの後遺症か。。。
同じ思いで生きている人の助けになれば、私の経験も無駄ではないかもしれません。還暦近くになって離婚となりそうな話も。

 

還暦近くまで生きてきて

 

自分が「生きづらさ」を感じていることに

改めて気づき

 

 

過去を振り返りながら

ブログを書いています

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでの人生で

何が私の人生を

生きづらいものにしてきたか

 

 

というと

 

宗教

家族

お金

 

 

 

この3点に尽きるのかと思います

 

悩んだときは

いつもこの3つのうち

どれかが原因です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宗教と家族

2世である以上

切っても切れない関係で

それがために

重くのしかかっています

 

 

 

家族とお金

生活共同体である以上

切っても切れない関係で

それでも

ここの考え方で

お金は動くのだけど

やはり

何かトラブルになれば

家族に大きな影響を与えます

 

 

 

 

この3つに

ずっと苦しんでいる気がします

 

 

 

 

 

 

「宗教」 からは

もう解放されました

 

それでも、なお

後遺症ともいえるトラウマに

生きづらさを感じるのは

 

この時に

植え付けられた

罪悪感から

自分の人生を自由に生きることができない

という

自分で自分から幸せになりに行けない

そのせいだと

 

 

 

「家族」は

この先も悩ましいのでしょう

離婚するとかしないとか

そんなことより

「家族」という

逃げることのできない

大きな見えない網のようなものにからまって

じたばたしている気がするのです

捨てることのできないもの

疎ましく思っても

いとおしいもの

 

きっと

世の中の人みんな

同じなのかもしれないですね

 

 

 

 

そして

「お金」

 

子どもの頃にお金がなかったからか

お金さえあればというバブル期を過ごしたからか

義家族がお金のトラブルを続発したおかげでか

家族を守るためにもお金は必要だと

信じて疑わない人間です

 

ともあれ

私は「お金」に執着する人間なのです

 

それは分かりました

 

 

離婚がサクサク進まないのも

この「お金」ってやつへの執着のせいです

 

 

生きるか死ぬかの状態まで行ったわけでもないのに

今までずっとお金がない

を連発して生きてきました

 

 

だって

「ある」

って言ったら

誰かに持っていかれるから

 

 

実際

何度も

持っていかれたから

 

 

 

 

 

 

この執着については

もうそろそろ手放せそうです

 

 

人生

一回りしたからかな

 

 

ゴールが

人生の最終コーナーが

見えた来たからかな

 

 

 

 

 

 

 

 

いつもいつも

宗教と家族とお金が

私を悩ませてきた・・・・・・・

 

 

 

 

ということは

これが

私の人生のテーマなのかと

最近思っています

 

 

 

 

 

こんな私ですが

 

もう少し

 

生きづらさから

解放されるように

生きていきます

 

 

 

死ぬまでに

生きづらさから解放されたい