王子神社
2024年07月29日 23時00分00秒|名所めぐり東京十社めぐり、8社目、王子神社を訪問。ゲリラ豪雨雲が発生していましたが、王子駅に着いた時には、通り過ぎた後でした。さすが晴れ男。駅の側にある音無親水公園。このあたりが渓谷だったことをうかがわせる公園。石神井川の旧流路に整備されたもの。石神井川は、北区付近では“音無川”と呼ばれており、古くからの春の桜・夏の青楓と滝あび・秋の紅葉など四季の行楽の名所、景勝の地でした。↓歌川広重画「名所江戸百景 王子音無川堰棣世俗大瀧ト唱」 昭和30年代から始まった改修工事で、緑の岸辺は厚いコンクリートの下へと消え、残された旧流路に、「かつての渓流を取り戻したい」として音無親水公園ができました。地形をそのまま利用しており、石垣に囲まれたせせらぎは、自然の川で遊んでいる感覚で水遊びが楽しめます。この坂を登って王子神社へ。丘の上にあることが分かります。坂の途中にあった大イチョウ。樹齢は600年。戦災で境内の殆どを焼失する中で1本だけ奇跡的に生き残った貴重な銀杏です。東京都の天然記念物に指定されています。大銀杏の下には句碑が立っています。暮際もなく 夜にうつる さくらかな 八十三翁 大谷暁山往年の飛鳥山の桜花の情景を詠んだ、元王子町長大谷氏の句碑。正面の大鳥居。高さ約8.6m。石造りの鳥居としては都内有数のもので、茨城県稲田産の御影石を使っています。中へ。本殿。御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱で、総称して「王子大神」と呼ばれています。創建は不明ですが、源義家(1039 -1106) の奥州征伐の折、社頭にて慰霊祈願を行い、凱旋の日に甲冑を納めた故事も伝えられ、古くから聖地として崇められていたと思われます。その後、元亨2年(1322年)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えして、改めて「若一王子宮」と奉斉し、それよりこの地は王子という地名になりました。「王子権現」の名称で江戸名所の一つでした。狛犬「子育て狛犬」として建立されています。社殿向かって右側の狛犬が父親で、子どもをあやす鞠を持っています。向かって左側の狛犬が母親で、子どもを守っており、ご夫婦揃って子育ての守護となっています。本社神輿・神輿蔵関神社全国でも珍しい「髪の祖神」。御祭神は百人一首でも有名な蝉丸公で、髪の毛が逆髪である故に嘆き悲しむ姉君「逆髪姫」のために「かもじ・かつら」を作ったという伝説により、髢、鬘や床山業界の方々の信仰の対象です。説明板は、タッチパネルになっています。夏祭りの準備中。