この投稿をInstagramで見る

美しいものには棘があるとはよく言ったものだ。 薔薇は薔薇。 美しいことも、棘を持つことも当たり前。 棘を嫌って美しさだけを手に入れられるか。 薔薇は薔薇。 美しさも棘も相反しない。多面性ではない。薔薇だからだ。 薔薇は厄介だ。 少し気を抜くと痛い目にあう。 美しさが勝れば最初はその痛みも仕方ないと受け入れる。気にはならない。 段々と痛みは傷みに変わっていく。 夢中になって持ち続ければ傷だらけだ。 鋭い棘先にやられて増えてゆく見えない傷からは血玉が吹き出して行く。 薔薇は自分で棘を無くしたいと思うだろうか。 棘を持つことで若い茎を守り、出来るだけ太陽に近くまで向かい、自分の温度調節を行なっていると言われている。諸説あって本当のことはわからない。 薔薇にもわからないのかもしれない。どうであれ棘を当たり前に持つのが美しき薔薇。 薔薇に棘をやめてくれと言うだろうか? 手に取るのか。 手に取って痛みが傷みに変わる頃に気がつくのか。 手に取ってずっと血を流していくのか。 手に取らなければ傷つくこともないだろう。手に取る側にも何ら変化は起きない。良くも悪くも。 手に取って触れて痛いと気付けば次は触れない様にするだろう。手に取らなくなるか、少なくとも扱い方を変える筈だ。 手に取りたいからこそ上手くやろうとするわけだ。 手に取り続けて血に気付いても離さないでいられるのか。自分の指先の痛みは薔薇の美しさへの憧れから見れば何の問題もないのかもしれない。長続きするかしないかはその美しさへの憧れの強さなのだろうか。 もしくは扱い方がとても上手いから痛くないか。 もしくは果てしなく鈍感か。 いや、むしろ果てしなく鈍感になることに決めたか。 棘は厄介だ。 それでも薔薇でなければならないのはなぜか。 例えば。 クリスマスやアニバーサリーの様に特別な一日にはどうしても薔薇🌹が必要だと思う。 であれば仕方がない。棘には目を瞑ろう。特別な日だから棘には目を瞑ろう。一日鈍感でいれば済むことだ。花瓶に生けてしまえばもう大丈夫。後は枯れて処分する時に注意が必要だ。それだけの事だ。大丈夫。 厄介な棘も大した事ない。特別な日は大丈夫。 そもそも棘の事など話題にもしない「バラが咲いた byマイク眞木」の世界観であれば、「寂しさ」の前には棘の存在など、どうでもよいことなのかもしれない。 唐突に薔薇の話を書いた。 果てしなく鈍感なフリをする予定で始めたとして、結局は僕にはできそうにないだろう。 あるいは手の皮を相当鍛えるか、だ。 その薔薇を見るたびに自分が手に取ったら痛かったことを毎回思い出すとしたら、その薔薇を遠くからでも見たくない。 見るたびに思い出す痛みは実際の痛みは伴わない。 にもかかわらず、むしろそれよりも痛いのだろう。 「もう薔薇なんてウンザリだ!見たくもない!」 そうなってもおかしくはなかろう。 美しいものには棘がある、とはよく言ったものだ。 しかしながらそれは薔薇だから仕方ない。 そして薔薇に罪はない。

Junさん(@junnakaguchi)がシェアした投稿 -