先日の愛子さまの伊勢神宮参拝と神武天皇陵参拝。

その品格ある佇まいやお振る舞いには、皆さんも感嘆し、

まさに高貴なオーラに圧倒されたかと思います

 

オーラというとTV「オーラの泉」(古っ😄)からか
拒否感を示す方がいますが、今回は人体の周囲に見える色のことではなく
存在感というような意味ではないかと思います。
高貴な存在感、その方のまとう美しい清らかな空気感を表すには

オーラって今の時代、わかりやすい表現ではないかと思います

 

 

と同時に私が驚いたのは愛子さまの歩き方と姿勢、所作です

 

私も2度ほど伊勢神宮に行ったことがあり

2回目はグループでの正式参拝だったため、砂利道を長く歩き続けました

一応、伊勢神宮の正式参拝は正装なので、スニーカーはダメだと思いましたが、
それでも砂利道を長く歩くことがわかっていたため、ラバーソールのショートブーツで誤魔化しましたが

玉砂利の道なので相当疲れました(きっとひどい歩き方だったことでしょう💦)

 

ところが愛子さまは参拝服の長いドレスとパンプスで美しくすっと歩いて行かれました

で、それを動画で拝見し、時々目を離して、また視線を戻したら
ギクシャク左右に揺れて歩いているように見えたので、あれ!?と思ったら、

それは愛子さまではなくて、後ろのお付きの女性でした(女官というのでしょうか?今の呼び方は分かりませんがお付きの方、ごめんなさい😅)

愛子さまは体幹がしっかりとされている上、日頃の鍛錬なのか、
長い砂利道を身体を揺らすことなく歩かれて行かれ、ご姿勢が全く変わらなかったのには驚きました

 

その次の感動は、常々感じていることですが愛子さまの眼差しと心からの微笑みです

にこやかなご表情には、全く媚がなく嘘がなく、その代わりに人々への感謝と優しさがありました。

 

何より、愛子さまの目には「自意識」が全く感じられなかった…

ただ自然な心からの微笑みだけがありました

 

 

(雪を見るルーク、ずっと前の写真で失礼します)

 

よく、とつぜん日本中の人気者になってスター⭐️と呼ばれるようになった方の中には自意識でいっぱいな目をしている人がいますね

でもそれはその人が、器の大きくない人、ごくごく普通の人だということなのです

 

一般人だったのがある日突然、日本人ほぼ全員に知られ、きゃーっと言われ囲まれる立場になったら多少自惚れてしまうのですね

でももちろん誰もがそうなるわけではありません

もともと謙虚な方、感謝を忘れない方もたくさんいるし、若い時は自意識過剰でイケイケだった人も、大人になり苦労していくうちに変わっていき優しい目になる人も多くいます

 

ちなみに、大谷翔平選手や、将棋の藤井聡太さんのように天才の上さらに必死で努力する方は、器が大きくご自分に厳しいため、そういう目はしていません 特別な目をしています。
 

またそれとは別ですが、根拠のない自信がありつつも不遇だった人が何かで有名になると、驚くほど自惚れた目で街を闊歩していることもあります(芸能人とは限りません😅)
 

逆に、街を歩くと時折、虚無的な目をしている人がいます
そういう人に町で会うと危険だと思い、私はすれ違いざまに振り向いてしまうこともあります
洞穴のような目をしている若い人を見ると心配になるのです

 

さらに余談ですが、私は顔を見たり目を見ると、嘘をついている人や、インチキを騙っている人がわかります

なぜ信じちゃうの?と不思議に思うことがよくあるのです

しかしその人を信じきっている人にはなかなか言えないし、言ったとしても私の言葉を信じてもらえないことが多いのですね

私が何を言おうが、私の肩書きは作詞家だからでしょう😅

 

・・・と話が逸れたので、私の直感についてはまたにしますが。

 

私は愛子さまのような奇跡的な方は、他にはいらっしゃらないと確信します

まさに新時代のアマテラス、必然的に女性天皇になるためにお生まれになった方ではないでしょうか

 

敬宮愛子さまを皇太子に、というのはもう時代の流れだということを、今までの流れを振り返れば誰もがわかるのではないかと思うのですが、なぜ政治家は動かないのでしょうか やはりご自分の得にならないと思うと動かないのでしょうか

それは皇室だけでなく日本の未来のためにも必要なことだと私は思うのですが。

 

この時代の波は、1998年に初めて私がメッセージを聞いて、2001年に愛子さまがご誕生された時からだんだんと大きくなってきた波です

 

では、愛子さまのお幸せは?どうなるの?

という疑問があるかと思いますので、またの機会に書きたいと思います。