ここ数日、肩の痛みが続いていましたが、昨日、整形外科でレントゲンとMRIで検査したところ、
肩関節に石灰が溜まっていると分かり(原因不明)とってーーーーーも痛いブロック注射を打つことになりっ(泣)

完全ではないですが、だいぶ良くなりました。でも、いくら注射が痛くても、腕が痛くて動かないよりずっとありがたい〜。

 

そんにゃらよかったにゃ。ルーク

 

ということで、今日は楽しみにしていた高森先生の講演会へGo!

 

 

こちらのご著書は私も読み込みました、おススメです!

 

 

先生が常に理路整然とお話される内容はまさに的を得ていて感銘を受けましたし

大変深くご研究されているので、今日もとても勉強になり伺って本当によかったと思います。
懇親会にも途中まで参加させていただき、お話もさせていただき嬉しかったです。

 

講演会でお話しされた情報は多くありましたが、やはり明治時代に制定された男系男子限定の皇位継承は、

「構造的欠陥のあるルール」。

 

実はこのルールが制定された明治22年にも、側室のお子様が継承しても良いのか、

また、男系男子限定では続かないのでは?という論争があったといいます。

 

私も、伊藤博文が女性天皇も認める草案を作っていたところ、

薩摩藩の武士出身の井上毅が大反対してその案が潰えたというのを、何かで読んだ覚えがあります。

しかも当時、日本に来ていた外国人の視点では、側室のお子が継承できるというルールには野蛮な印象があり

日本政府は海外の要人にはそのことを黙っていた・・・というのも読みました。


それでもこのルールが通ったのは、今とは全く異なる時代背景の上、側室が何人もいたからでしょうね。

 

しかし男系男子は中国の模倣。日本は本来そうではなかったのです。

 

高森先生のご著書より

「シナの『男尊女卑ー男系主義』とは異なる「女性尊重ー双系主義」の伝統にこそ日本的特徴、日本らしさの'原点'があったと振り返ることができる。「シナ化ー男系化」の中でも、それが最終的に失われてしまうことがなかった。

そのことは、矮小化された姿であっても、武家支配下の江戸時代でさえお二方の女性天皇が即位された事実が、裏付けているのではないだろうか」(「女性天皇の成立」P.131)

 

さらによく言われる万世一系という言葉は、古書などどこにも見当たらず岩倉具視の造語であったようです。

 

また、今日伺ったお話では、男系男子に拘っている学者の中にも、最終的には女性天皇・女系天皇を認めている方もいるとのことで、その先生方の著書からの言葉を伺いました。

 

もちろん中には異常なまでに固執している方もいますが、そのような方は実は男系男子信仰なのであり、
皇室の弥栄は願ってはいないのだと思います。悠仁様お一人では確実に皇室は滅びに向かいますから。

 

今日高森先生もおっしゃっていましたが、平成28年の上皇陛下の生前退位のビデオメッセージの中にも
安定的皇位継承を願う・・・というお言葉がありました。

そのため平成31年にこの後、速やかに検討すると付帯決議に上げていたのに

その後、今日まで動きがなかったのは何故なのでしょうか。

 

しかし最近、政府が動き出したこともあってか宮内庁長官が「安定的皇位継承を」と発言していますね。

これは何を意味するのでしょうね。

 

この問題を政府にまた放置されては大変です。そうなる可能性はあり、予断は許さないとのこと。

 

未来のために、やはり今、私たちができることをしていかなくてはと思います。

 

「新時代のアマテラス -愛子天皇の未来へ-」を執筆していた時は、この本を書き終えたら、また以前の作詞家生活に戻るのかなと思いましたが、どうやらそうではなかったようです。この問題は実はとてつもなく大きなことでした。

(あっ、作詞と音楽は大好きな本業なのでもちろんがんばりますよ!)

 

 

それがわかった私の最近体験した不思議な出来事とその見解、今できることは何か、またとても古い歴史的な話もシンクロしているので3日に開催するミニ講演会でお話させて頂きますね。