原爆が投下されて75年。1945年8月5日米軍が広島市に原爆を投下し多数の尊い命が奪われました。
でもその日の朝まで、国民はそんな悲惨なことが起きるなんて、夢にも思っていなかったのです。
被爆者の82歳の方の「生きているうちに核兵器の廃絶を実現してほしい。核に頼らない世界平和を願っています」の言葉は重いです。私達も、その言葉を受け止めて生きていけたらと強く願います。
さっきテレビで、確か15年くらい前の映像でしたが、原爆を開発したアメリカ人の方と、被爆者の方達との会話を見ました。(日本のニュース番組で撮影されたようでどこか屋外で話していました)
被爆者の方は謝ってほしいと言ったけれど、原爆を開発したアメリカ人は、真珠湾で多くの友を亡くしたのだから自分は決して謝らないと言っていました。
その人にとってはそうなのでしょう。先にアメリカが真珠湾で攻撃されたからです。
ここまで残酷で非人道的な兵器をその人が開発したとしても・・・?と私は思ってしまうけれど。
その壁は埋まることなく、そこにいた全員は、今ではみんな他界しているそうです。
最後は握手していましたが、それは形だけでしょう。残念です。
そうやって戦争は、国と国だけでなく、人と人とを分断してしまう。
戦争がなければ、掛け替えのない多くの命も人生も、犠牲にはならなかったのです。
絶対に起こしてはならないもの。
それが戦争です。
それに比べればとてもとても些細なことですが、今もコロナ禍で、いろんな非常に小さな分断が起きているように感じます。
それぞれ、新型コロナに関しても色々意見が分かれているんです。
ただ私は全くの素人ですし、感染症専門医の意見を聞いていようと思っています。
なにしろ自分が感染していないと言う証拠もなく、また若くもないので、人混みはなるべく避けて、外に出ても室内では換気してマスクをかけています。
また感染していなければもちろんこれからも感染したくない。だからこそ気をつけていますがもともと夜の街なんて興味ないし、大勢での会食も今は控えています。
旅行も行きません。私はGo Toトラベルキャンペーンとは関係ない東京都民だしね(苦笑)
そんな現在、新型コロナ感染症に関しては医学者でも様々な意見があるようですが(門外漢でさえいろんなことを言っている)、少なくとも世界中でたくさんの方が感染し、大変に苦しんだ方も大勢いて、亡くなられた方も多数(日本ではさほど多数ではないかもしれませんが)いることだけは確かですよね。
そしていつも思うのですが、新しい未知のウィルスのことを、感染症の専門医も手探りなのに私たちになどわかるはずがないんです。もちろん直感はありますが、それは他人に対してはなんの説得力もありません。
それにもともと私は疑り深いので、誰か一人の意見を決して鵜呑みにはしません。
(教祖みたいな人にはドン引きする、宗教にはハマらないタイプです)
そんなフラットな気持ちで、私自身は知らないことに対してただただ謙虚でいようと思います。
また、思想も人それぞれ違いますよね。
まぁ意見なんて自由なのですが、どうやらそれも分かり合えない要因のようです。
というのも、考えの違いを平常時にはやり過ごせるのに、こう言う非常時には分断が大きくなるように思うからです。
例えば政府に関しては、感染症も抑えなくてはならない、経済もまわさなければならない、ということで非常に大変であろうとは思います。
けれどたった今、急いでGo To トラベルキャンペーンをやる必要なんて本当にあったのかなーと疑問に思うのは私だけではないはず。
誰も感染者のいなかった沖縄にこんなに感染した人が増えたのは、人気ある夏の沖縄に出かけた人が多かったからに違いないのです(実は私もこんなことが起きる前は今年行こうかなと思っていました)。
そしてここには書きませんが、他にも思うところは多々あります。
でも、私は国民がそんな社会や政府や国家権力のことを批判するのは、止むを得ないことだと思っています。
国民が自分の意見をなんでも言えるのが民主主義なのですから。
そして政府や国家は、マスコミからも国民からも(何かあれば)批判されるものです。
ただ、SNSなどで、意見が違うからと言って、弱き私人を一方的に非難したりすることは残念なことだと思っています。またそれが的外れだったりすることも多い。
人は思い込みで生きていますし、自分こそが正しいと思っている。
中野信子さんの書いた「正義中毒」という本のタイトルがあって読んでみたいと思っていますが、正義とは、その人にとって正義でも他の人にとっては必ずしもそうではない。
だから、違う考え方の他人には、その人の言葉は響かないのです。
それでも、もし個人に言いたいことがあるのなら、相手に直接言えばいいのです。そして喧嘩してもいいから話し合えばいい。
SNSに一方的に悪口を書かれたと感じたら、そのままにしていたら、きっと言われた側は忘れないでしょう。
つまりただ分断してゆくだけなのです。
少し前、Twitterでの個人攻撃により若い命を自ら絶った若いプロレスラーの方もいましたね。
なぜそんなに早まったの!?と思うけれど、若くて繊細だったと思うし、その人にとってはとてつもなく辛いことだったに違いありません。
けれども、人が世界に放った矢は、ブーメランのようにその人のところに帰ってくるでしょう。
それを私も肝に命じて、生きて行きたいと思います。
そうそう、前回のブログに書いた、オンライントークイベント「よっちゃんとあきらちゃんのリレートーク」で私が、人々の分断についてお聞きした時の、産婦人科医の池川明先生から聞いたお話、とても良かったです。
実は予定にはなかったのですが、私は自分の出演の時だけでなく、その後も何回か顔を出して、リレーのラストの時にも顔を出してちょこっとお話したんです。その時にお聞きしたお話です。
もしご興味があればぜひアーカイブで見てみてくださいね。
中島みゆきさんの「糸」のように、人と人とのつながりをあんな風に捉えて行ければ、皆が仲良くしていける。理想ですよね。
新型コロナウィルスは、今大切なことを私たちに教えてくれているのかもしれません。
私たちは、どうあるべきか、それを考えさせてくれる。
そして、当たり前だった日常のありがたさも教えてくれる。
命の大切さ、健康のかけがえのなさ。
家族の大切さ、ありがたみも感じました。
信頼できる友人や仲間がいる幸せも感じました。
うちにずっといたせいで猫がいてくれる幸せも私は感じました。
精神的には自制心の重要さ、何を選択すべきかなどにも気がつきました。
そうそう、それと想像力の大事さ。
世の中にはいろんな人がいるのです。他人は自分とは違うのだから、相手の身になることが必要。
それが分断を避けるコツかもしれません。
そして私は仕事に感謝しました。
私たちの業界も非常に大変です。でもそれでもなんとか色々なことをやろうとしている。
そして、お声がけをいただけることに、改めて感謝しています。
コロナ禍が収束すると同時に、時代はきっと大きく新しく変わるでしょう。
困難の中から何かを学んだ時。
世の中の人たちの心も新しく進化して、分断されるのではなく繋がっていることを願っています。
75回目の「原爆の日」。様々なこと、自分のことも省みながら、思うことを書いてみました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。