心が壊れそう | Journey Together ~多系統萎縮症の父と家族と○○と~

Journey Together ~多系統萎縮症の父と家族と○○と~

2015年5月、父が多系統萎縮症と診断されました(発病はおそらく2008年頃)。難病を抱えることになった父と家族の介護の日々を綴ります。

お祈りくださっている皆様、

ご心配くださっている皆様、
本当にありがとうございます。
たくさんの祈りが天の神様の前に立ち上っていったと思います。
一緒に祈ってくれる方たちがいるということが、どれほど大きな励ましと力になったことでしょう。
ただただ感謝です。
 
そしてコメントをくださった皆様、お一人お一人の優しいお心を感じ、やはりとても力づけられました。ありがとうございます(T_T)
 
 
 
祈りがきかれたのだと思います。
母、何とか昨晩の激痛を乗り越えることができました。朝9時前には、県内でトップの結核治療のできる病院に移ることもできました。
 
 
朝の母、穏やかな表情でした。
けれど………
痛みの最中、母は虫の大群を見たり、妹を大きなスリッパだと思ったり、音楽が聞こえてきたりしたそうです。
また、母の言っていることが何となく意味不明というか、支離滅裂な時があり、大丈夫だろうか…と思いました。
それでも笑顔を見せてくれ、その笑顔に救われる思いでした。
 
 
けれど、昼過ぎからはますます意味不明となっていき、目の焦点も合いづらくなり、会話が成立しなくなっていきました。
 
 
夕方緊急で造影剤を使ったMRIを撮り、
結核性髄膜脳炎を起こしていることでほぼ間違いないだろう、と診断されました。
結核菌が髄膜だけでなく脳のあちこちにも飛び火して炎症をおこしているとのこと。
意識障害はそのせいだと。
また炎症が治まったとしても、後遺症が残ることは大いにありうるとのこと。
 
 
今回の母の病状に対する医師の説明は、とてもとても厳しいものでした。
重篤な病状のうえ、心臓、糖尿病という持病のある母が、どこまで治療に耐えうるか。
まずはこの1〜2週間が一つの山。
母の場合、回復までに長い道のりがかかるだろうし(一年はかかるだろう)、その間いくつもの山を乗り越えていかなければならない、と言われました。
 
 
 
母、時間を追うごとに意識障害が強くなっています。まだ、私や妹のことはわかりますし、名前を呼んでもくれます。「大丈夫」とも相変わらず言いもしますが、会話にほとんどなりません。
 
点滴を抜いてしまうので、手にはミトンをつけられました。
 
 
明日の朝にはどうなっているのでしょう。
 
 
 
治療薬の投与も始まっています。強い薬で、副作用もあります。
どこまで母の身体は耐えられるの?
 
 
怖くて怖くて、悲しくて悲しくてたまりません。
 
いくつもの超えなければならない山を思うだけで、途方にくれます。
 
年の割には頭はしっかりしていた母。きちっきちっと会社の仕事をし、丁寧に家の管理をし、草花の手入れをし…
今の母は、もうそんなことできそうにありません。
母がいないと私は何もできません。
家のこと、何もわからない。
母に何かを尋ねることはもうできない。
どうしたらいいの?
 
 
治療がうまくいけば
母のこの意識障害も治るのでしょうか。
妹は期待しています。
治る気がすると言っています。
でも私は涙しか出てこない。
 
 
 
ほんの数日前まで、いえ昨日まではちゃんと話ができていたのに、
あっという間にこんな状態になってしまった。
 
受け入れられません。
 
 
いっぱい祈ってくださった皆さん、ありがとう。
 
でも私はもう怖くて祈れない。
 
 
 
父はどうなるの?
 
父や私が結核に感染していたらどうなる?
父は感染せず私だけが感染していたら?
私は感染せず父が感染していたら?
その間に母がなくなったら?
父がなくなったらどうなる?
色んなパターンがあって、
考え出したら狂いそうになります。
 
 
ちなみに父が感染しているかはDr.タロウが早々に調べ始めてくれています。
 
他の家族の感染の有無については、これから保健所の指導の元に調べていくことになります。
 
 
 
 
 
昨日、私は髪を切って母のもとに行きました。
この数週間ずっと母に「いい加減に髪を切ってきなさい」と言われ続けていたので、母のために切って行きました。
 
 
母は私の顔を見るなり、
「あっ」と声をもらし、
じっくりと私を見て
「かわいい」と言いました。
 
 
こんな出来損ないの娘なのに、
母は娘を想ってくれているのです。
 
 
 
苦しいです。
 
神様、ひどすぎます。
私はもう祈れません。もう疲れた。
代わりに祈ってくれる方がいれば、
都合の良い話ですが、お願いします。