応援とはなんぞや? | LukeのBlog

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ヤクルト・スワローズ、ヤクルト・レビンズ(ラグビー)、ラグビー、ガンバ大阪、陸上、サイクルロードレース、東大野球部、東大ウォリアーズ(アメフト)、Xリーグを熱烈応援中で趣味・料理。

このブログを始めた頃と比べると観戦するスポーツも増えて、スポーツそのものの見方も少し変わった。


元々観ていたスワローズとラグビーと陸上に加えて、(今年においてはすっかりニワカ的だけど)サッカーをゴール裏で応援するようになったし、社会人や大学生のアメフトを観に行くようにもなったし、学童野球の全国大会も観に行くようになった。
何より頭の中でのスポーツ観戦の中心がヤクルト・スワローズから東大野球部に移りつつある。


六大学野球は以前から暇な時にぶらりと出掛けて観ていたけど、ある方のブログを読んだのがきっかけで東大野球を軸に見始めた。
最初は外野席から数回、次に応援団に近い内野席で数回観戦をし、満を持して応援席に一人でデビューを果たすと「これこそが応援なのだ!」と思わせる場所に僕はたどり着いた。

『応援とはなんぞや?』

凄く哲学的だと思う。
東大応援団には自己満足的要素は一つも無く、グランドでプレーする選手のためだけに全身全霊、身を粉にして応援をする。
そんな彼らの姿勢に最初は「そこまでできちゃうの?アホちゃうか?」(誉め言葉)ってくらいの感動を覚えた。

プロ野球やサッカーで応援ボードやゲーフラを掲げたり、選手の背番号を背負って応援したり、観戦仲間や相手の応援席からどう見えてるか?ってあるけど、ここでは他人へのアピールや自己満足的要素は一切排除し、ただただグランドに立つ選手を鼓舞するためだけの応援。
とっても哲学的でしょ?

応援団はプレーそのものはほとんど見ずに観客を向き、自らの情熱とエネルギーを観客の反響を利用してグランドの選手に送る。


数年越しの連敗を重ねていた当時、「今日負けたのは俺らの責任だ!俺らの応援が足りなかったのだ!」と本気で語り、時には悔し涙を流す応援団。

「なんだこりゃ!?」
って最初は思ったけど、通うにつれて彼らの意気込みとか思い入れとか…、うまく言えないけど闘魂とか情熱がストレートに伝わってくる不思議。
この歳にしてまだ見ぬ境地を体感したのだ。



そう、僕は東大野球部のファンではない。
東大応援部のファンであって、彼らが身を粉にして応援する野球部を間接的に応援しているのだ。

たぶん…東大野球部が早稲田や明治のように強いチームだったらここまでは思わなかったかもしれない。
だからこそ一昨年の四年半ぶりの勝利は神宮球場で…いや、スポーツ観戦で初めてアゴを梅干状態にして号泣した。
勝ったこともそうだけど、試合後のエールの交換の儀が終るまでは…と涙を我慢してる応援団のこれまでの苦節や感慨、一度も勝利を目にすることなく卒業していった応援部員の悔しさがわかるようになっていたから。


もちろん人によって価値観も違うゆえこの応援団が一番!とは思わないけど、何かしらの形で「応援する」ことに属し、応援に関して疑問や思い悩んでる人はここに5回、いや3回通って野球ではなく応援部の一挙手一投足を見れば、何かを掴んで帰れるはず!とすら思う。

なにより、僕はスポーツの見方・価値観・感動ポイントがすっかり変わってしまったのだから。


※あくまでも僕個人の価値観であり、東大野球部はどこまでいっても大学の部活動。もちろん、文化や目的や存在意義も違うプロ野球やプロサッカーの応援スタイルを揶揄している訳ではありません。