楽しみにしていたオリンピックが終ってしまった。
これから始まる緊張感や研ぎ澄まされた集中力で張り詰めた開会式の雰囲気と打って変わって、閉会式では色んなものから解放されたアスリートの表情豊かで柔らかな雰囲気を寂しさも感じつつ和みながら見ていた。
なんだかアスリートが放電してるみたい。
僕は僕で眠いのを我慢したり、普段ならあり得ない3時に目覚ましをセットして23時に寝たり…。
長い期間に渡って厳しい練習と犠牲を払ってきたアスリートの一瞬に懸ける姿を見届けようと、やっぱりこっちも必死なのだ。
今回色んなことがきっかけで五輪憲章なるものを読む機会を得た。
オリンピックの憲法は実に美しい憲章だった。
マラソン男子で優勝したウガンダの選手は2位に入ったケニアを待って健闘を称え合い、男子棒高跳びでは競技を終えてメダルを逃した選手達がメダル争いを見守り、優勝者が決まると全員で温かく祝福する。
前回の世界陸上でハマった男子十種競技では全ての競技が終わると各国の旗を持って全員でトラックを一周し、共に競った仲間と観客に一礼する。
正にノーサイド精神でお互いに健闘を称え合う…。
僕はスポーツ観戦ではこんな場面が一番好きなのかもしれない。
ノーサイドと言えば大好きなラグビー。
秩父宮ラグビー場でラグビーを観たあと、ラグビー選手がよく来ると言われている店で飲んでたらドヤドヤど大男達が入ってきての大宴会に出くわしたことがある。
案の定その日秩父宮で試合をした選手達なんだけど、それが双方の選手が敵味方関係なく楽しそうに飲んでいた。
すごく楽しそうだった。
前に意図的な酷いラスプレーがあった試合があって、怪我をした外国人選手は試合後にこう言った。
『彼とは試合後の美味しいビールは飲めないね…』
外国人なりの粋なジョークかと思いきや、なるほどラグビーってのは本当にノーサイド精神を貫いていて、試合が終わると本当にみんな集まって飲んでるんだわ。
それからラグビーが一層好きになったのを思い出した。
オリンピックでも残念な場面も見た。
あえて日本人の話題をすると、フェンシング団体で日本がドイツを下し決勝進出を決めた試合。
ルールはよく解らなくともフェンシングという“スポーツ”に引き込まれ、固唾を飲んで見ていて日本の勝利が決まった瞬間「ヤッター!」って喜んだのもつかの間、選手やスタッフがピストに上がってきて抱き合って喜び合う姿にそれまでの興奮や感動が全てがチャラになってなんだかシラケてしまった。
フェンシングにも柔道や剣道と同じく、審判からの勝ち名乗りがあって礼をし握手して試合が終わるんだけど、そんなのお構い無し。
相対したドイツの選手は試合終了の礼と握手をするために両手を広げてずっと待っていたのに…。
日本の選手はやっと気づいて顔も見ることなく手を触る程度。。。
快挙に嬉しいのは解るけど、僕は高まろうとしていたフェンシング熱が一気に冷めた。
あの人達は五輪憲章を読んだのかな~。
閉会式でのロンドンオリンピック組織委員会のセバスチャン・コーさんの弁。。。
選手達は信じられないほどの献身と技能によって畏怖の念を抱かされるプレーを見せてくれました。
私たちは勇気と忌たんを目撃し、それにより私たちは国として個人として何が出来るのか知りました、それが今後の原動力となるでしょう。
IOCジャック・ロゲさんの弁。
フェアプレーの精神、対戦相手への敬意、いさぎよい負け方を通してみさんはオリンピアンと呼ばれる権利を勝ち取ったのです。
お二人とも原稿を読みながらのありきたりに思える閉会の弁なんだけど、よく聞き入ってみると五輪精神の尊重とそこに集ったアスリートに底知れぬ敬意を表していることに感動した。
そうだよ、選手のほとんどはメダルを持ち帰ることなく国に帰るんだけど、頑張った量は一緒なんだ。
ましてや、国と国のゴタゴタやら領土がどうしたやらをスポーツに持ち込むなんてもっての外であり、しかも相手に喧嘩腰で憎悪をもってするもんじゃない。
仮想敵国との代理戦争をスポーツでしようってのは愚の骨頂だ。
W杯でテレビで実況か解説が『サッカーは戦争なんです!』なんて言ってるけど…、
やめてくれよ、サッカーはスポーツなんだよ。
やっぱりスポーツって戦う物じゃなくて競うものなんだ。