外はセミの鳴き声が聞こえてきそうな暑さで、空はその熱を逃すまいと薄い灰色の雲が覆っている。

僕はボストンラガービールを飲み干したあと1080円の若いフランスワインと共に980円の和牛のローストビーフをとても幸せな気分で食べている。
キッチンでは店主が笑顔の絶えない給仕のおば様と会話をしながらどうやら品切れ間近のガロニを忙しそうに作っている。
その真ん前に陣取った僕の口元は楽しい会話や美味しい物に恵まれた満足感で常にほころんでいる。
不具合があるとするなら、だいぶ歩いたので夏仕様のデッキシューズの靴擦れが痛むことくらい。
梅雨の晴れ間の有意義な休日の午後だった。

片や時を同じくして紀尾井町のホテルでは美しい日本庭園を眺めながら2万円のワインと共に昭和天皇がパリの本店で召し上がった番号を先頭に付番されているシリアルナンバー付きの2万円の幼鴨のローストのコースを食べている。
わざわざ苦手な鴨を話の種とはいえ口にし、あろうことか鴨の血と骨髄を濾して作ったソース。
おまけに蒸し暑い日曜日なのにネクタイにジャケットを来てこい、と店に念を押されるだなんてまっぴらごめんだ。

勝ち組は一目瞭然だ、僕に決まっている。
タイヤ屋が付けた星の数などには僕の中ではなんの価値もありがたみも感じない。
ついでに言うとニューヨークタイムズに選ばれて「世界一美味しい朝食をあなたに…」なんて自ら謳っちゃうおめでたいスクランブルエッグにもあまり魅力は感じていない。
とろけるようなスクランブルエッグは確かに美味しいけど、よくも恥ずかしげもなく言えたものだと感心してしまう。
シャレが利いてる「旨すぎて申し訳ないス!」とは訳が違う。
創業者のシェフが出したい味が日本の店で出せているならば、僕にはそのスクランブルエッグより瓢亭玉子の方が断然美味しく感じる。
食事とは目の前に出てきた皿の上の代物が美味しいか不味いかだけを判断するのではなく、共に食事をする人やその会話、店の設え、店の人との会話や立ち居振舞いに加えてやっと料理を楽しめるものなのだから。
ずいぶん僻みなのか嫉妬なのか荒んだ意見なのかもしれない。
そう、僕は荒んでいた。
色んな経緯があってその場でどうしても楽しく食事ができない気がしていて、そこに行くか行かないかでここ数日僕は随分とアンニュイな気分を過ごしていた。
おかげでここ数日はジョニー・ハートマンやマイルス・デイビスのバラードを虚ろに聴く日々。
愛をさえずる様に歌うジョニー・ハートマンの歌声も、精密に組み立てられて前衛的なマイルスのkind of blueも頭も心も通過して単なるBGMとなっていた。
そして僕はこの日の予定を強い言葉を使って断り、今ローストビーフを食べている。

ニュールンベルガーソーセイジ。
店のショーウインドウを眺めていて目が止まる。
ニュルンベルク裁判で知ったドイツの地名であることはすぐにわかったが、ソーセイジに目がいくことはなく商品ポップをじっと見ていた。

思いつくのはニュルンベルクのマイスタージンガー。。。
それを見てから食事の最中ワーグナーの名曲が頭の中でずっと流れていた。カラヤンのベルリンフィルで1974年録音の名盤だ。
あの堂々とした雄大な旋律に心が大きくなった気分で、この一週間で一番充実した食事をしてなにかがふっ切れた。
今夜母にお祝いの電話をしよう、そしてお詫びの言葉も添えよう。
店を出ると灰色の雲の隙間から青空が見え、空が明るくなっていた。