読み始めた本がまもなく終わろうとしている。
なんだろう、この寂しさは。誰もが感じたことある寂しさ。
終わりが近づいてくると読み進めながら「しめしめ、あと20頁くらいはあるな。。。」と確認したりする。すると「やや、よく見ると最後の10頁くらいはあとがきと広告ではないか。。。」なんてこともあって、読む速度が落ちたりして、どよ~んなのである。
本はその時期(世代)によって読む作家で好みが分かれ、一人を徹底的に読むタイプで、いつかもう一回読もうと思う本も沢山あった。
というか、あったはず。
引越しが多く、用済みの物は次々と廃棄していく家庭に育った事を悔やむか、良しとするか。
正直大切に取ってある本は家には一冊もない。
「あぁ、あのころの山田詠美、もう一回読みたいわ」と思っても手元にない。
音楽を聴きながら本を読むのが好きだった頃があって、今でもある曲を聴くと大好きな作家の一人である宮本輝を思い出して、もう一回読みたいと思うものの、それが何という題名なのかも忘れてしまっている。
そんな本をもう一回読むには本屋で片っ端から立ち読みをして記憶を呼び起こさせて探して買ってくるしかない現実。
ところがある週末、実家にあった本を一気読みしたら新たな発見をした。 先が読めるかのようにすらすらと読めるのである。そう、記憶が蘇ってくるのだ。
買い直した文庫本で読むのと置いてあった単行本を読むのとではどうやら違うのである。
買い直した本は何といえばいいのか、印象というか、紙の匂いやその他もろもろによる記憶が蘇ってきにくいというか、これまた新鮮で中身も違うみたい。
なんだか愛読書は読むたびに買い直すのが良さそう。作家先生への印税貢献にもなりそうだし。
あら?、最も尊敬してやまない故井上靖先生の印税は誰に入るんだろう。。。