ご冥福をお祈りいたします。 | ルカちゃん、ラムちゃんどたばた日記

ルカちゃん、ラムちゃんどたばた日記

  ちょっと気の弱いアメコカルカちゃんと、
  とっても気の強いペキプーラムちゃんの日々
  をつづってます。

昨日、サークル仲間Nさんのご主人が59歳でお亡くなりになりました。
今日、メールで知りました。
今年になって、スクールも辞められて、サークルもだんだん休みがちになってたので、
どうしたのかな?と思いつつ、私たちの年齢から、父母の調子が悪いというのは、
当たり前のようになっていて、ましてNさんは、仕事もしているから、遊んでられないんだろうと・・・
勝手にそうゆう事情だと思い込んでました。
 
でも、ご主人だったとは・・・
それも告知されたのが、1年前でそこから半年くらいはスクールでもサークルでも何事もないように・・
ご主人もいつもと同じ生活を望んでいて、
「じゃあ、テニスに行ってくるわー」っていったら、「おう!いってらっしゃい」って感じだったそうで。
 
今日、お通夜の時間には間に合わなかったけど、お伺いをして、お話を聞かせていただきました。
 
ご主人は最後まで目標を持って、最後の時まで一生懸命生きられたそうです。
ずっと自宅療養をされていて、最後の6日間、入院した時もちょっとマシになったら、自宅へ戻るつもりだったと。
4月後半からは、Nさんも休職をして、看病をされていたそうです。
さすがに最後の1週間は、モルヒネを打っても効かず、「ほんまに痛いわ」と言っていたそうです。
 
その言葉を聞いた時、母のことを思い出しました。私の母も60歳で肝がんで死にました。
母も入院を嫌がり、最後の3週間入院した時も帰りたそうにしてました。
最後の言葉が、「うっほちゃん、人間って、こんなにしんどいめせんと死なれへんねんなぁ・・」と言っていたこと。
なんか走馬灯のように、甦って、
「Nさんもご主人もこの1年、よう頑張ったね汗って、
Nさんは、年上の方なんだけど、思わずため口で言ってしまいました。
 
帰りがけに、「今のところは、(Nさんも)気が張っているだろうし、これから当分、仕事と仏様のことで
忙しいから日がすぎて行くでしょうが、四十九日を終えて、ちょっとホッとしたころに、
体調を崩しませんように」・・・と自分たちの経験上のことをお伝えしてきました。
(ちなみに私の場合、四十九日が過ぎても、母の準確定申告があったので、ホッとしたのは、初盆くらいでした)
 
 
昨年も、学生時代の友達のご主人が突然53歳で無くなり、そして今年・・・
だんだんそうゆう機会が増えてくるんですね。
 
自分もいずれ来ることだと論理的にはわかってるけど、感情がついてきてないような・・・
ただ今思うのは、
自分にその時が来た時・・・「いろいろあったけど、この人生、充分楽しんだ」って思って逝きたいなぁ。