昨日訪問看護師さん(以後訪看さん)が来てくださいました。

50体半ばを超えた優しい男性の方で、ゆっくり話を聞いてくださいます。


驚いたことに、私の後輩か働いていた病院の士長さんだったこともわかり、ビックリしました。


私は友達は多い方ではないのですが、〇〇病院に後輩がいます、といったところから、後輩に何気なく聞いてみると、ドンピシャでした。

もともとこの地域の学校ではない地域でたまたま同じ部屋て1年暮らして、その後数年はなんの連絡も取らなかった関係でしたが、奇跡的に再会し、訪問入浴で一緒に働いたこともある後輩でした。


私は驚いたのもあったのですが、そのときはあまり具合も良くなくネガティブで、後輩は現役で働いているのに自分が働けていないことにひどく落ち込みました。

生育歴が悪く、性格的にも自分に自信がないと、そうなる傾向が強いと本で読みました。

比べたからって何も起こらないのに。でもとうしても悲しく、虚しく、落ち込んでいました。


2週間くらい訪看さんを断っていました。


最近刺繍にハマっているので、音楽を聞きながらせっせと刺繍をして過ごしていたのですが、せっかく来てくださるのたから、気持ちを切り替えようと思い今週の訪問をお願いしました。


話が終わるときに、訪看さんは奥様をガンで亡くし再婚して、今、4歳になるお子さんがいると聞きました。

その時バーっと父の映像がでてきました。


私は、母を12で亡くしました。その頃から父は今の継母と付き合っていたと思います。いつも何故か送り迎えをしている(私達もつきあわされる、でも継母は私達とは一言も話さない)この人は何なのだろうと思いながら、中学生の私は、みんなの雰囲気を和ませようとしていました。


それから私が29になったときに腹違いの弟が生まれました。

父は狂喜乱舞でした。

私は、中学生の時からサンドバッグにされ、八つ当たりされ、それでも父に愛されたかったので、とても苦しかったです。

私はその時すでに病気でした。


それでも弟には罪はないのだから、と無理してお祝いもしました。


弟が1歳半のときに継母が、首の腫瘍で入院しました。私は父の助けになるために実家に帰りましたが、もう、ひどいものでした。甘やかすだけ甘やかして、駄目なことは一切教えていない。

食事を投げるので、私がだめよ、と言っても父親は何も言いません。


あまりにも酷いので手をぺチッと叩いたら

火がついたように泣き出しました。

まあ?叩くのはいけないのかもしれないけど、叩かれて育ったからかな。でも、ほんとに優しくだったんですけどね。

私が悪いの?

ギャーーーっと泣いている弟を父は抱き上げて、ママがいないからね、我慢してるんだよね、とあやしていました。

私は怒りと悲しみに飲まれ、半泣きになりました。

は?それは関係ないでしょ?と思ったけど、その時の私もかつて理不尽すぎるやつあたりで殴られたことを思い出して悔し涙が溢れていました。しつけと暴力は違うし、私は殴ったわけではないよ!


訪看さんが娘が可愛くて仕方ない、とても美人なんですよ、と親ばかを披露したたった一瞬で、そのことが浮かんで、ひどく嫌な気持ちになりました。

フラッシュバックは、突然来るのです。

残酷です。


理屈では、この人とは何も関係ないと思おうとしても、もう嫌!その子のほうが可愛いの?

なんで私だけを殴るの?

なんで尽くす私を虐げて、しつけもしないの?ジジイって呼ばせてるのはなんなの?

それでも愛されたいから、初任給で旅行にも連れて行ったし、お金もあげたのに。


どんどん怒りと哀しみが連鎖して混乱して、私は今何歳なのか、分からなくなってしまいました。今でも頭がくらくらします。


なんともないふりをして訪看さんを送り出して、どっと疲れてムカムカしました。

ため息ばかりでした。



訪看さんは、何も悪くないです。


ただ、フラッシュバックが起きただけ。

父親を求める気持ちが、私は、強すぎて、悲しい。


私は小さい子は好きです。

大人のようになにか企んだりできないから。

快、不快、の小さな命だから。


親や環境で、小さかった子も、複雑になっていきます。

どうか、子供は愛してあげてほしい。

安心して育ってほしい。


泣けたら、楽になるかな。

40も半ばを過ぎても、こころの中の子供が置いてきぼりです。


愛されることがわからないと、ちゃんとした相手を選ぶのも難しいと言います。

私が独身なのも、そのせいもあるんだろうなー


読んでくださってありがとうございました。