ソ連初の女性機関士 | スペイン鉄道暮らし

スペイン鉄道暮らし

 メルクリンZゲージを中心に N&HOゲージの車輌コレクション 
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2015年ノーベル文学賞受賞作家 ベラルーシ出身のジャーナリスト

スヴェトラーナ・アレクシエ-ヴィチの作品。


1941年~45年、第二次世界大戦におけるドイツと旧ソ連の戦いは、ロシアでは「大祖国戦争」と呼ばれています。実際に従軍した女性たちの証言を集めた過去に類を見ない著作。

一晩で一気に読みましたが、本ブログの主旨に沿って、鉄道に関する記述のみ、433434ページより引用。


マリア・アレクサンドロヴナ

29歳の時から鉄道員、機関助手だった。当時、ソ連のどこにも女性機関士はいなかった。私はあこがれていたの。蒸気機関車の操車場長はあきれたように両手を広げて見せた。「女の子ってのは必ず男がやることをやってみたがるんだ」私はどうしても機関士にならせてくれと訴えたの。

1931年にソ連で初の女性機関士になった。信じられないでしょ。私の蒸気機関車が駅に到着すると人が集ってくる。「女の子が蒸気機関を走らせているぞ」と言うわけ。


蒸気機関車が修理中だった時のこと。私と夫は交代で乗務していました。子供がまだ小さかったので、夫が勤務していれば、私は子供と残る。私が出た時は彼が家でお守りをする。ちょうど、その日は夫が戻って来て、私が乗務する日だった。朝起きるとなんだか外が騒がしく、ラジオをつけたら「戦争だ!」


そのころ戦線のための特別輸送隊が作られていたんです。夫と二人で志願しました。夫が機関長で私が機関士。4年間暖房貨車で国中を移動して、息子も一緒だった。

あの子は戦争の間中、猫というものを見たことがなったわ。キエフ駅の近くで猫を拾った時、猛烈な空襲にあって、5機の戦闘機が襲ってきました。息子は猫を抱きしめて「猫ちゃん、おまえに会えてよかった。誰にも会えないんだもの。僕と一緒にいてよ。いい子だねえ、キスしてあげるよ」子供なのよ、なにもかも子供らしくなけりゃね。「おかあちゃん、うちには猫ちゃんがいるんだ。うちは本物の家になったよね」


私たちはいつも爆撃を受けたり、機関銃の銃撃にさらされたりだった。いつも機関車がねらわれるの。最大の目的は機関士を殺すこと。蒸気機関車を潰すこと。飛行機は低空飛行をして暖房貨車と蒸気機関車を撃ってくる。暖房貨車には息子がいるのよ。息子のことが一番心配だった。言葉ではあらわせないわ・・

爆撃が始まると暖房貨車から息子を機関車のほうに連れてくる。胸に抱きしめている。「あたしたちを一緒に殺すがいい」でもそんなふうに殺すわけないのよ。それで生き残ったのね。

蒸気機関車は私の人生、私の青春よ。私の人生で一番美しい時代。今だって列車の運転をしたいけど、もう使ってくれないわ。年寄りだから・・


今、こうやって住んでいるけど。あの子は医者で、医長なの。小さなアパートに住んでいるわ。私はどこにも遠出しない、言いようがないけど、息子や孫たちと別れていられない。戦争に行ったことがある人なら、これがどういうことか分かるんだけど。一日離ればなれになるってことがどういうことか、たった1日だって・・


ED型 ソ連時代の代表的な貨物用蒸気機関車

193142年 3112両製造

アメリカの技術応用 設計100日、製造170

サンタフェ式 2-10-2 または 1E

1950年代半ばにDL ELに移行後、中国に一部売却

マリアさんは、まさにこの巨大な機関車を運転していたのですね。

(画像 Wikipedia