明治・大正・昭和期を生きた女流詩歌人 与謝野晶子(1878~1942年)
大正3年に出版された詩集「舞ごろも」、旅のおもひでの章の一編に「伯林停車場」という詩があります。
1912年(明治45年)、ドイツを訪れた際に描写したベルリンのアンハルター駅。
百年前の日本人の感性・・凄すぎ。一読して完全にノックアウト。既に著作権は失効済なので、全文を掲載します。
伯林停車場
ああ重苦しく、赤黒く
高く、広く、奥深い 穹窿の
神秘な人工の威厭と
沸沸と迸る銀白の蒸気と
爆ぜる火と、吼える鉄と
人間の動悸、汗の香
および靴音に
絶えず、窒息り
絶えず戦慄する
伯林の厳かなる大停車場。
ああ、此処なんだ、世界の人類が
静止の代りに、活動を
善の代りに力を
弛緩の代りに緊張を
平和の代りに苦闘を
涙の代りに生血を
信仰の代りに實現を
自ら探し求めて出入りする
現代の偉大な、新しい
人性を主とする本寺は。
此処に大きなプラットフォウムが
地中海の沿岸のように横はり
その下に波打つ幾線の鉄の縄が
世界の隅隅までを繋ぎ合せ
それに絶えず手繰り寄せられて
汽車は此処に三分間毎に東西南北より着し
また三分間毎に東西南北へ此処を出て行く。
此処に世界のあらゆる目覚めた人人は
髪の黒いのも、赤いのも
目の碧いのも、黄いろいのも
みんな乗りはづすまい
降りはぐれまいと気を配り
因より発車を知らせる鈴も無ければ
みんな自分で検べて大切な自分の「時」を知っている。
どんな危険も、どんな冒険も此処にある
どんな鋭音も、どんな騒音も此処にある
どんな期待も、どんな昂奮も、どんな痙攣も
どんな接吻も、どんな告別も此処にある
どんな異国の珍しい酒、果物、煙草、香料
麻、絹布、毛織物
また書物、新聞、美術品、郵便物も此処にある。
此処では何もかも全身の気息のつまるような
全身の筋のはちきれるような
全身の血の蒸発するような
鋭い、忙しい、白熱の肉感の歓びに満ちている。
どうして少しの隙や發豫があらう
あつけらかんと眺めて居る休息があらう
乗り遅れたからと云って誰が気の毒がらう。
此処では皆の人が唯だ自分の行先許りを考える。
此処へ出入りする人人は
男も女も皆選ばれて来た優者の風があり
額がしつとりと汗ばんで
光を睨み返すやうな目附きをして
口は歌ふ前のやうにきゆつと緊り
肩と胸が張って
腰から足の先までは
きやしやな、しかも堅固な植物の幹が歩いているやうである
みんなの神経は苛苛として居るけれど
みんなの意志は悠揚として
鉄の軸のやうに正しく動いて居る。
みんながどの刹那をも空しくせずに
ほんとに生きている人達だ、ほんとに動いている人達だ。
あれ、巨象のやうな大機関車を先きにして
どの汽車よりも大きな地響を立てて
ウラジオストックから倫敦までを
十二日間で突破する
ノオル・デキスプレスの最大急行列車が入って来た。
怖ろしい威厳を持った機関車は
今、世界の凡ての機関車を圧倒するやうにして駐つた。
ああ、わたしも是れに乗って来たんだ。
ああ、またわたしも是れに乗って行くんだ。
この時、与謝野晶子、33歳。
夫の鉄幹を追い、単身で敦賀からウラジオストックへ船で渡り、シベリア鉄道に乗って2週間。5月19日にパリ到着、ヨーロッパには4か月滞在。ドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダ、フランス、イギリスをめぐり、9月21日にマルセイユから船で帰国の途に就いています。
初めての異国の地で、いささかも怯まず迷わずうろたえない冷徹な観察眼。さすが、文学のひと時代を築いた女傑の際立った視点。
この詩に描写されている「マンモスのような大機関車」、1912年にトランス・シベリア急行を牽いてベルリンに発着していた蒸気機関車の型式を特定すると面白いです。