オリエント急行に関するスペインの新聞記事
ABC紙 2013年6月18日付
「王とスパイの列車 オリエント・エクスプレス
130年の伝説を担ってヨーロッパを走る」
今年のバカンスに、第一次大戦で敗北したドイツが降伏の調印をなし、第二次大戦の初戦でにフランスはヒトラーの手に落ちた、その同じ列車で旅をすることを想像できるだろうか?
この列車でチャールズ&アナ王太子夫妻が初めて電気機関車の牽引で旅をした。1965年にはチャーチルの鉄道葬儀に使われた。 こうした列車の旅が可能となった。創業から130年の時を経て再び歴史と伝説を乗せてヨーロッパの地を走る。
1883年10月4日、国際列車という発想を現実にした実業家ジョージ・ネゲルバッカーズにより選ばれた特権的な40名の乗客を乗せて、オリエント急行はパリを出発。20世紀の最も重要な人物、王族、貴族、王子、スルタン、国家元首を乗せた。乗客の中にはスパイ、密輸業者、武器の運び屋、娼婦、億万長者たちも混じっていた。豪華さと冒険の夢想とエキゾチックなオリエントの征服欲を運び、「王とスパイたちの列車」とも呼ばれた。この列車に乗ることは単なる移動という意味を越えていた。
オリエント急行は19編の小説に描写され、6本の映画のテーマとなり、歌のタイトルともなってきた。 初期の時代の大物としては、ルーマニア国王カール1世が夏の別荘宮殿に招待客を招くために使われた。20世紀初めには、ブルガリアのフェルナンド1世が全速力での走行を命じ、乗務員を危険に晒して側近に諌められた。1891年にはトルコで強盗団に遭遇し、4万リーブルを奪われ、5人の乗客が誘拐された。翌年には車内でコレラが発生して検疫を行なったこともある。当時のバルカン半島を横断するに際しては、乗客は荷物の中に武器を携帯することが勧められた。
20世紀のオリエント急行は現在のイスタンブールまで到達した。当時の富豪や有名人や貴族たちが、ミュンヘン、ウィーン、ブダペスト、ブカレストを通り、コンスタンチノープルにやってきた。全行程は2900kmに及び、3日間を要した。
1920年代に「シンプロン・オリエント・エクスプレス」として再出発。
この歴史と伝説の列車は列強の諜報活動が暗躍する場ともなった。約20年の間、世界最高の設備を誇った列車は、第二次世界大戦の勃発によって欧州の鉄路から姿を消し、1962年に復活するまで、その豪奢さは失なわれた。
1977年、ザ・シー・コンテナ・グループ社長ジェ-ムス・シェルウッドはオリエント急行のオリジナル車輌をヨーロッパ中から探し求めた。その多くはスペインの地にも残っていた。それらの車輌を買い取り、イギリス、ベルギー、ドイツの車輌修理工場や博物館や愛好家の手によって修繕が施された。
1982年、シェルウッドは遂に長年の夢を、ベネチア・シンプロン・オリエントエクスプレスとして実現した。今日ではヨーロッパの様々なルートを走っているが、730ユーロから7000ユーロの旅行代金で乗車することができる。歴史を旅してみてはいかがだろうか?
(翻訳 by ルイス)

