初めてこの地方を訪れたのは、1982年5月初めのこと。
春になったというのに、まだパリは寒く、南の国へ行こうと思い立って、
オーステルリッツ駅からスペイン行きの夜行列車に乗りました。
ちょうど出稼ぎ労働者が帰省する時期と重なって、
スペイン国境のイルンで乗り換えた列車内はさながらフィエスタ。
皆、ひさびさに故郷に帰る喜びに満ちていました。
たまたまコンパートメントで相席したひとりが、スイスでコックをしているというポルトガル人の青年。
これから農繁期になるので村に帰るとのこと。
お互いの意思が通jじる言葉は、たどたどしいフランス語ながら、なぜか意気投合。
「特にあてもない旅なら、俺の村に来てみないか?」というjことで、マドリッド行きをポルト行きに変更。
多少不安ながらも、彼の素朴な笑顔を信じて、そのまま列車を乗りついで、
まだ年代ものの小さな蒸気機関車が走っている森林鉄道を辿って、
モンディン・ド・バストという名の小さな村にたどりつきました。
僕は、この村に初めてやってきた日本人として、もの珍しさもあってか、大歓迎を受けました。
彼の実家は村で一軒のパン屋を営んでおり、殆ど自給自足で暮らしている桃源郷のような村です。
清流に鱒が泳ぐタメガ河には、ローマ時代の石橋がかかっています。
日が暮れると、、彼の友人たちが集まってきて、バルで地酒のワインを酌み交わしながら談笑。
夜が更けて、彼らと連れ立って、それぞれが楽器を持ち寄って民族音楽を奏でながら、川の畔へ・・
後になって、アイルランドの村でも体験した、自然の中でのセッションの宴。
こういう所に古代ケルトの風習が残っているのだな・・と思いました。
その家には3日間お世話になりましたが、若き日の忘れられない思い出です。
いつかその村に再訪しようと思ってはいたものの、なかなか実現せず、
たまたまその地方に分け入ったので、ひょっとしてあの鉄道が残っていれば・・と微かに期待したのですが
残念ながら、鉄道は久しく前に廃線になってしまったとのことでした。
支線の分岐点であるアマランテの町で泊まったのは、修道院が経営している古風な館を改装したホテル。
フロントで尋ねると、その村に行くための公共交通機関はなく、路線バスも運行していないという返事。
一日一往復だけ、村から町の学校へ来る生徒用のスクールバスがあり、
用事がある村人はこの便を利用しているという話です。
しかしながら、その時は、サンチアゴとレオン地方を回るという日程が詰まっていたので、
思い出の村への再訪は諦めることにしました。
アマランテ駅
廃駅かと思いきや、本数は少ないながらも健在
ブラガンサ駅
廃止されてバスターミナルとして使われています