1999年にセルビア共和国の自治州となり、2008年に独立したが、セルビアは認めていない。
現在、国連暫定ミッションの管理下にあり、国際平和維持軍 UNMIK が駐屯している。
モンテネグロから1日1本の路線バスで、ほぼ1日がかりで国境を越えた。途中は山越えルートである。
国全体は山に囲まれた盆地という感じで、どこからアクセスするにも山を越えなければならない。現在は他国籍軍の兵士たちが管理しており、パスポートに押されたのは国連のスタンプであった。セルビアとの紛争も落ち着き、さほど緊張感は漂っていない。住民の印象も至って穏やかである。
コソボ滞在は1泊2日、南部のプリズレンを観光した。
住民はイスラム教徒が殆どで、大モスクは修復中であった。かつてセルビア人が住んでいた山の手地区は紛争で破壊されて鉄条網で囲われていた。焼き討ちの跡や地雷注意の看板もあり、破壊された正教会の跡は銃を持った数人の兵士が警備していた。
地元の少年たちの道案内で城跡の丘に登り、プリズレンの町全体を眺望
列車や駅の写真はなく、バス移動の途中で垣間見た線路のみ
線路は錆びついていないので、おそらく列車は運行しているものと思われる。
コソボ紛争の背後にある事情は複雑である。
この地域はアルバニア人の住民が圧倒的に多い。人口150万人中、77%を占めている。反セルビアの抵抗組織であるコソボ解放軍は主にアルバニア人で占められていた。独裁政権時代のセルビア軍は、ユーゴスラビアの統一を守り、コソボの独立運動を潰すために侵攻して、コソボ解放軍の掃討を名目とした住民への残虐行為を働いた。その後、NATO軍の攻撃で敗れたセルビア軍は撤退、次はコソボ側による少数派のセルビア人への報復が起こった。 この双方の争いを収めるために国連軍が展開している。
近隣国との関係を見ると、アルバニアとコソボは仲がいい。一方、マケドニアとアルバニアは仲が悪く、セルビアとコソボは険悪である。この地域において、アルバニアは孤立しており、国家は破綻状態といわれている。アルバニアへの入国ルートは限られており、この時の旅行ではアルバニアまで足を伸ばすことは無理であった。
首都プリシュティナには、さほど見るべきものはなさそうなので、街並みだけを視線に収めて、スコピエまで路線バスで移動する。実質的には西から東へ、モンテネグロからマケドニアへ抜けるための通過行程だった。
ちなみに、ウィーンからバルカン半島へ向かう鉄道の主要路線は、ブダペスト→ベオグラードへと続く。途中のニシュで分岐して、ソフィア→イスタンブール および スコピエ→テッサロニキ→アテネ へと通じている。コソボ鉄道は、いわば迂回線のようなもので、ベオグラードからのバルカン本線をラポホで分かれて南下、プリシュティナ経由、スコピエで再び本線に合流する。
手元の2003年版トーマスクック時刻表によれば、レサク~プリシュティナ間には、1日2往復の列車が運行していることになっている。コソボ紛争の事情から、セルビアとは断交状態なので、ベオグラードからの直通列車ない。プリシュティナ~スコピエ間は1日1往復の列車が走っているという情報もある。
後日談だが、国境越えの際にパスポートにコソボのスタンプを押してしまったために、マケドニアからセルビアへの陸路越えで入国を拒否される可能性があるという事情を知った。そこでやむを得ず、スコピエからベオグラードまでは空路を使うことにした。
