私の母方の祖父は、

生きていれば112歳。


同じく祖母は生きていれば

107歳の年齢になります。


2人とも90代で天寿を全うしました愛飛び出すハート


俗に言うピンピンコロリ家系だと思いますニコニコ








私の祖父は、

進学先が決まっていたにも関わらず

母(私の曽祖母)の言うことを聞いて

東京の宮内庁、皇宮警察になりました。


父親が早くに亡くなり、妹たちが3人いたから

当時としては仕方のないことなのでしょう。


だから、私の実母には

3兄妹の末っ子ということもあり、

本人の希望のままに進路を決めさせてました。






…おじいちゃん、

それがそもそもの失敗だったよ泣き笑い






まあ、それがわかるのは

祖父が上京してから数十年後なので

文句は一切言えないんですがね笑






で、東京で私の祖母と「地元が近い」という

理由でお見合いをし、

祖父27歳、祖母22歳で結ばれましたラブラブ


当時としては祖父は婚期が遅い方です。


祖父母が生きていた頃、

当時の話になった時祖母は

「まあ、他にいい人いたんでしょうけどね」

て言って、

それを同席で聞いていた祖父は

笑って誤魔化していましたニヤニヤ

おーい、おじいちゃーん!笑


私だけが知っている馴れ初めですデレデレ







私が小学生の高学年になった頃、

社会科の授業で

第二次世界大戦のことを知りました。


年齢的に祖父は当時戦争に駆り出される年齢。


母から聞いた話では

祖父は皇宮警察ということで優遇され、

前線には一切立たず

通信兵として貢献していたそうです。


そして当時のことを幼い私に対し、

「体重がある程度以上になると、兵隊さんは2人分のご飯がもらえたんだよ。だからおじいちゃんは頑張って太ろうとしたんだけど、背が低いからダメだったんだ」と、

笑いながら話すような祖父でした。







母の実家には当時の功績を讃える賞状があり、

「おじいちゃんてすごい人なんだなー」と

幼いながらに感じ取るのには

十分過ぎる存在でした。







私は祖父母が生きていたら、

聞いてみたいことがあります。


ねぇ、おじいちゃん、おばあちゃん。今の世界をどう思う?て。






戦前の教育を受けて、

お国のために、と命をかけていた世代。


そんな人たちは今のこの世界を

一体どう思っているだろう?


平和ボケしているこの国を、

どんな気持ちで見ているだろう?







おじいちゃんとおばあちゃんは、

色々あったけれども

幸せな人だったと思います。


長男の嫁さん(私の伯母ね)は

とてもご先祖様を敬う人なんです。


「お墓参りに行く!」と言えば

どこからともなくお線香とお花を出してきて

行ってきなさい、て言うような

そんな伯母ですキラキラ


だからきっと今年のお盆も

伯母が取り仕切って

御先祖さまたちを迎え入れていると思います。







おじいちゃん、おばあちゃん。


私の中では2人は生き続けています。


2人にカムイを会わせることが出来たのが

最大の祖父母孝行かな爆笑


あの頃はバブバブだったカムイももう成人。

たま〜にコンニャロピリピリてなるけれど、

素敵な男に成長しましたよ。


昔の私がこんな母親になるなんて

思ってもみなかったでしょう?笑い泣き


安心してください。


ちゃんと、生きてますよキラキラ








お空に戻ってからも、

2人仲良く過ごしてね。


お墓参りになかなか行けなくてごめんね。


でも心の中では思い続けているからねウインク


うちの虹の橋組、

ワチャワチャいるけれど

そっちで皆んなで楽しく賑やかに過ごしてね。




2024年、終戦記念日に

今は亡き祖父母を偲んで。藍


☆Fly again☆