おじいちゃん、おばあちゃんがまだ生きてたら、、
有に100歳を超えています。
祖父は大正2年。
祖母は大正7年の生まれです。
祖父が70歳、祖母が65歳の時に私は5番目の孫として生まれてきました。
一番年上の従兄、たーちゃんと私は13歳違います。
たーちゃんは祖父母にとって初孫でした。
初孫が生まれてよほど嬉しかったのか、祖父は気合いいっぱいに大きな大きな鯉のぼりを買います。
…庭に飾れないくらいのを買ってしまいました

「おじいさん、こんな大きいのどこ飾るの!」となったみたいですね。
その木綿の鯉のぼり🎏
今はチーバの我が家にあります。
広げると廊下からはみ出します。
当然我が家にも飾れませんが、いつか、その鯉のぼりを飾れるような家をもう一軒購入するのが目標



昔聞いた話ですが。
祖父は自分の息子にタケヒコとつけたかったそうです。
既に生まれていた自分の長男はカツヒコ。次男にはタケヒコとつけたかったみたいですね。
しかしカツヒコの4歳離れた妹ができ、その長女にはレイコ。生まれて1週間程で亡くなった次女にはヨウコ。
そのように名付けました。
ヨウコさんが新生児期に亡くなり、数年経ち、私の実母が生を授かりました。
チヅコと名付けられた母。
結局男の子が1人しか生まれてこなかった祖父が、初孫である私の従兄弟にタケヒコと名付けたそうですよ。
たーちゃん知ってたかい?

戦時中のマラリアやら戦後のコレラやら。
色々と大変な時代を生きてきたおじいちゃん、おばあちゃん。
昨今騒がれてる感染病に対しておじいちゃんはどのように向き合ったのかなあ。
まだしばらく会えそうにもないけれど。
あと何十年かしたら。
虹の橋組が「藍ちゃん、迎えに来たよ!」て来てくれて。
そしたらシワシワになった手を差し伸べたい。
大好きだったおじいちゃん、おばあちゃんからは「頑張って生きたね」て言われて笑顔で迎えいれてもらいたいな。
そのようなことを目指して、生きていきます。
おじいちゃん、おばあちゃん。天国でも仲良くね

☆Fly again☆