今日はちょっとワンコとの話とは違います。
私の祖父母の話をしたいと思います。
母方の祖父母ですが、
祖父は大正2年、祖母は大正7年の生まれです。
たまに遊びに行く程度の孫娘からすれば、
いつも一緒にいた祖父母でした。
夜になると祖父の「書斎」で、
大ジョッキの生レモンハイを飲みながら、
祖父は帳簿付けを。
祖母はテレビ鑑賞を。
そんな光景が未だ記憶にあります。
曽祖母は明治生まれでしたが、
そのまた親か、さらに親かは江戸時代の生まれなんでしょうね。
そう考えると、
祖父母から色々と聞いてみたかったです。
祖父は若くして父親を亡くし、
学があったのに進学が出来ませんでした。
なので自分の子どもたち3人には、
「大学に行って教員免許を取れ」と、
叩きこんでいたそうです。
そして実子3人を自宅外通学させながら、
「勉学に励むように」とバイト禁止。
仕送りだけで生活させてました。
私の母も教員免許があります。
兄である叔父も、高校の教員してました。
唯一、叔母だけ教員免許は取らなかったそうです。
孫娘としては、
「おじいちゃん!変なこと言うからうちの母親世間知らずな人間なっちゃったよ!!」
…と、文句を言いたかった。笑
小学校の非常勤教員した時、
「バカな子がなんで出来ないかわからない」
そんなこと言うくらいでしたから。
子どもと共に自分も成長することが出来る、
教師には全く不向きな箱入り娘です。
おかげで生まれた時から反抗期な私が、
育ちあがったわけですよ( ´Д`)y━・~~
私は第二次世界対戦の時の話を祖父から少しばかり聞いたことがあります。
祖父は進学出来なかったため上京し、
皇宮警察になりました。
皇宮警察とは、
天皇御付きの警察官です。
なので戦争が始まり、
祖父は前線につくことなく、
通信兵として戦地に赴きました。
「80キロになったら2人分食事もらえるから頑張ったんだけど、78キロまでしかいかなかったんだよなあ」
そんなことを笑いながら話してました。
もし、また話すことが出来るなら、
大正、昭和、平成と生きてきた祖父母に
「ねえ、令和はどんな年になってほしい?」
そんなことを聞いてみたいです。
神と崇められた天皇に従い、
終戦によって『象徴天皇』に変わり。
おじいちゃん。
おじいちゃんはどんな風に思ってる?
おばあちゃんは、
おじいちゃんの隣にいて、どう思う?
そんなことを聞いてみたいです。
令和て、「平和」と響き似てますよね。
いろんな生きとし生けるものに、
平和な社会が築かれますように…。
☆Fly again☆