おはようございます☆
夏がぶり返してきましたね!
ヨシヨシ♪٩(^‿^)۶まだまだ夏を楽しむぞ!


今日は親愛なる読者様のリクエストに応じて、父方の祖母の話をしますグラサン





私の父方の祖母は、日本が統治下に置いていた頃の台湾の出身です。

7人兄姉の一番下。
一番上とは20歳近く年齢が離れていたそうです。昔ならよくある話ですよね。

祖母は当時住んでいたお屋敷の話を、幼い私によくしていました。

庭にはライチの木があってね、とか、
ビワがなるとお姉さんたちが取ってくれてね、とか。

そんな感じで嬉しそうな顔をして、故郷の話をしてくれていました。






ところがそんな平穏な日々も、『戦争』という、愚かな大人たちが引き起こしたことで壊されてしまいます。

軍隊がある日乗り込んできて、そのお屋敷を軍の拠点にするからと立ち退かされてしまったのです。

一家は泣く泣く日本にいる親戚を頼り、山形へと引っ越してきました。

しかしその出来事があったからこそ、私の父がこの世に誕生するキッカケにもなったのです。






成人した祖母は、山形から隣県宮城の仙台に出てきました。
そしてまだ日本に駐留していたアメリカ軍の施設で働き始めます。

そこで、実の祖父と恋に落ちたのです。

でも残念ながら、実の祖父のことはそれ以外私も父もわかりません。

やはり「棄てられた」という心の傷がいつまでも消えていないのでしょうね。
だから父も、自分の実父の名前すら聞いたことがありませんでした。

父はとても母親想いの優しい人でしたから。
昔の古傷に塩を塗るような事はしたくなかったのでしょう。



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↑祖母と父の写真です。
実家があった頃、父が使っていた部屋に残されていました。







祖母は幼い父を養うため、夜のお仕事を生業にすることを決めました。

そしてこれは父から直接聞いた話ですが、やはり夜、部屋に1人でいるのはとても寂しかったらしく、泣きながら母親が働いているお店に行って怒られたことがある、と聞きました。

いつの時代も、子は親の愛情を求めるものです。

それを聞いた私は、「パパ、可哀想だな」ということよりも、「おばあちゃんはプロだ!」と思いました。

しかしお水のプロとは言え、やはり1人の母親。
そんなに寂しいなら、と、祖母は息子の友だちとして先日アップした「ペルちゃん」を迎え入れることになるのです!

さらにその後すぐ、内縁関係になる男性が現れ、父は夜1人で留守番、ということはなくなりました。

その内縁の夫と祖母は、父が大学生の時に正式に入籍をして、今では私の「おじいちゃん」です。








父が成長していくに連れ、祖母は父に愛情以外に「期待」という感情も抱くようになりました。  

と言うのも、父は運動はてんでダメでも、勉強はできる子だったからです。

父も母親の期待に応えるべく、高い目標を掲げて勉学に励んでいたみたいですね。
「家から一番近いから」という理由だけで進学校に受かってしまうような人でした。








祖母はハッキリ言って見栄っ張りなとこがあります。

夜の女性ですから、まあ当然そんな強固な面も持っていなければ仕事の席で潰されますからね。

仕方ないとは思います。

だけど、同じように一人息子を抱える孫娘として言わせてもらえば「子どもの将来はその子自身に決めさせるべき」だと未だ思っています。







「医者になれ。それが無理ならせめて歯医者になれ」

祖母は父に対してそう言うようになりました。

確かに医者になれば食いっぱぐれることはないでしょう。間違いなく。

だけど祖母はそのことよりも、たった1人の息子を医者にして、それを周囲に自慢したかったんじゃないか? そう思えてなりません。

じゃなければどれだけの費用がかかるかもわからずに、私大の医学部なんて受けさせないと思うからです。

客観的に考えると、私の意見はそんな感じですm(__)m








実際祖母の家に行くと、まず玄関を開けると鹿の頭の剥製がお出迎えします。(そしてその角には祖父の帽子がいくつも飾られてます。笑)

毛皮のラグや、ミンクのコート、ビンテージものの食器、豪華なインテリア…。

(成金趣味だなぁあせる)
てのが率直な感想|( ̄3 ̄)|

食の場面でも見たこともない高価な輸入食品の数々が並ぶことが度々ありましたが、メインはやはり故郷台湾料理でしたね。

それらを毎週末のように食べていた私は、将来ダンナの実家で「ザ・昭和」な食卓にビックリすることになります。イナゴの佃煮とか、ね。笑

私にとってのオフクロの味、というのは祖母作の台湾料理でしたから(^^;;










祖母は結局、70代まで夜のお仕事をやっていました。トータル半世紀以上ですね。

現役引退から現在に至るまで、体調はどうやら悪いみたいです。

夜の仕事を何十年もしていたから、仕方ないですけどね。
あの世界は「カラダ壊してなんぼ」なとこですから。

でもやっぱり心配ではあります。

実年齢からしても、残された時間はあまりないと思いますが、気丈な性格は最期の時まで貫いてほしいと、孫娘としては思っています。







☆Fly again☆