週末、玉置神社へお参りしてきました。
約1年ぶり。
前回は、玉置神社の中の三柱神社のお稲荷さんが新しく奉納された日で
雪のつもる中、お式が行われている後ろで
ひっそり参加させて頂きました。

今回、玉石社に参拝した際に
お礼をしたい、何をしたらいいかと伺ったところ
白い丸い美しい石を川辺から拾って持ってきて捧げる
のがよいと
望まれてるように思いました。
望んでるという表現はピタリではないかな…
そうされたら嬉しい、という感じ。

しかしー
勝手に石を持ってきて置くのはどうなんだろうーと
お約束しかねる、
人の口や目に入る文章などで確信させてくださいと
お伝えしてー

駐車場のお茶屋さんで
あったかいおうどんを頂きながら
おじちゃんとお話して聞いてみました。

以前、新興宗教か何かの人たちが
白い石を置きにきてたから、
勝手にそんなんしたらバチあたるぞと叱っといたんや。
ということでした。


あらら。

その後、花の窟神社で白い石にお願い事を書いて捧げ置いてるのを見て…

そして
熊野古道の道中
墓標?石標?に石を置き重ねてるのを見て…


美しい石が宝物だった昔、
自分にとって価値のあるものを
捧げて感謝する、
お願い事、お祈り、をする、って考えると

川辺で白い美しい玉のような石を拾って
感謝とともに捧げる、
お願い事をするときに、お願いしますと捧げる、
叶えてくださってありがとうございましたって捧げる、
って十分ありえるのではないかなーと思いました。

伊勢神宮の白い玉石を敷き詰めるのも
建築の様式としての決まり、となる前のもともとは

たくさん捧げられたお祈りや感謝の神聖な思いの石たちが
由緒ある神社や聖地には
敷き詰められるようにあったことから

に起因してるのではないかしらー


全くの勝手な想像です(o^^o)


その、怒られた新興宗教扱いされた方たちも
同じようなメッセージを聞かれたのかな~
なんて思いました。


人間社会のルールがあるのはわかってくださると思いますし
本当に玉石を望まれたら
それを行われる神主さんを呼ばれるでしょうと思います。

私は次回参拝までに
そのタイミングで川辺で白い玉石に出会ったら
そういうことですね、と
思うと思います。


熊野那智大社の滝では
なんやかんやで
早朝伺うことになり、
滝に虹がー!
とか
大斎原にも伺ったのですが
しかし、今回は玉石について書くようでした。
久々の記事(o^^o)