こんなことがあっていいのでしょうか…
松田直樹選手が亡くなられたのです。
まだ34歳という若さなのに。
時として神様は残酷です。
サッカーという名前の神様は、ほんの半月前には
「なでしこジャパン優勝」という喜びを与えてくれました。
でも、今回は奇跡を起こしてはくれませんでした…
なぜ?どうして?と問わずにはいられません。
先月末の7月30日には、古巣マリノスの試合を観に
日産スタジアムを訪れて元気な姿を見せていたそうなのに。
マツが倒れたというニュースを見てからの落ち着かない3日間。
私がよく見るサッカーのサイトに、各チーム毎の掲示板があります。
観に行けない試合の時など、リアルタイムで書き込みがあるので
よく利用するのですが、色んな方が書き込みますので
決してお品が良いとは言えないその掲示板が…
この3日間はどのチームの掲示板もほぼ松田選手を
心配する書き込みでいっぱいになりました。
これはかつて無い事でした。
そしてなんと、「1鶴、2鶴…」と書き込みによる千羽鶴を作ろう、
という呼びかけに皆が答えていたのです。
浦和の掲示板では早々に千羽鶴が達成し、神社へ奉納しに
行かれた方もいたようです。
(奉納は、きっと携帯を持っていったのでしょう)
そのサッカーに対する熱い姿勢を見せてくれた松田選手に、
どのチームのサポーターも心を一つに祈ったのです。
でも、残念ながら願いは届きませんでした…
松田選手がJリーグにデビューした95年頃、
マリノス好きの友人に連れられて、
よく横浜の三ツ沢競技場へ足を運んだものです。
やけに頭が小さくてヒョロヒョロした選手がいると思ったのが
松田選手でした。まだ黒髪の坊主頭でした。
当時から有望株の選手でしたのですぐに五輪代表にも選ばれ、
前園さんや中田さん達と過酷な予選を勝ち抜いた末
あのアトランタ五輪のマイアミの奇跡の舞台に立ったのです。
93年のドーハの悲劇でアメリカW杯大会出場を逃していた
日本のサッカー界においては、オリンピックの出場も
また悲願の一つでありました。
このアトランタ五輪は、サッカー後進国だった日本が
世界と同じ舞台で闘っていける、と上昇するキッカケを
つかむ事が出来た大会であったと思っています。
あの伝説のブラジル戦は今でも忘れられません。
私にとっては、今でもアトランタ五輪の代表チームが
一番心を熱くしてくれたNo1の代表チームだと思っています。
(アジア予選から録ってあるビデオは宝物です…)
いつでも全力投球で妥協が無かった松田選手。
ジーコ監督との確執から日本代表からは早くに
離れてしまったのがとても残念です。
私がサッカーを見始めたのはJリーグが誕生してからですが、
新人としてプロの試合にデビューし、代表選手として華麗に活躍し、
そしてベテランとして下部組織のチームで奮闘する姿を
見せてくれた選手が亡くなるなんて、本当に信じられません。
志半ばで倒れた本人が一番悔しく思っていることでしょう。
でも、松本山雅FCのユニフォームを着たその顔は、
笑顔の様に見えたと中村俊輔選手がコメントしていました。
家族からの、サッカーの仲間からの、そして何より
サポーターからの心の声が届いていたからではないでしょうか。
永遠のサッカー小僧、どうぞ安らかにお眠りください。

Sの公式HPは書き込みが終了してしまったけれど、
ーのテレビ番組の感想掲示板には

