プチ修行の旅⑦ 高野山巡礼~その4 霊宝館の八大童子像 | 長月式部日記

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さまざま思ふこと


超スローペースで UP しているプチ修行の記事。
もはやMy体験の再確認作業になってる感がありますが、
今回もおつき合い下さいマセ。 おじぎ


大師教会で「授戒」なる儀式を体験して密教の奥深さに触れた後は
昼食を挟んでいよいよ高野山での最後の行程となります。
まずは女人堂へ。

ジュラ紀まであと少し

高野山は明治5年(1872年に)に女人禁制が解かれるまで、
ずっと厳しく女性の立ち入りを制限していました。
開祖である空海の母御も山の途中までしか上がる事が出来ず、
空海が山を下りてお会いになったそうです…(ノ_・。)

高野山に入るには高野七口(こうやななくち)と呼ばれる、
七つの登り口があるそうなのですが、
女人禁制を知らずにお参りに来た女性達のために
それぞれに参籠所が設けられていたのです。
また、山道を分け入って高野山の周りをぐるっと一周した人も居たとか。
現存するこの女人堂は唯一残った場所で、不動坂口にあります。
中はなにやらお土産屋さんの様な雰囲気だったのですが(失礼!)
高野山で初めて生まれた女性(お静さん)の写真が飾られていました。

この女人堂の真向かいには大きなお地蔵様が安置されています。
「お竹地蔵」というそうです。

ジュラ紀まであと少し

由来を見たところ…
お竹さんとは横山竹という江戸の女性
自分の父母と、安政年間の大地震で亡くなられた方々の菩提のために、
なんと30年勤め上げた年季奉公で貯めたお金を
ドーンと一気に使い切ってこのお地蔵様を立てたそうです。
さすが江戸っ子、太っ腹!!
今でも大事にされていますから、お竹さんには本望な事でしょうo(^-^)o


そして次は赤松院(せきしょういん)へ。
ここでは秘仏の御開帳がありました。

ジュラ紀まであと少し

山門には素晴しい阿吽の仁王像が安置されています。
ジュラ紀まであと少し ジュラ紀まであと少し

御開帳になったのは「虚空蔵菩薩」像で、寅年の守り本尊ということで
12年に一度の寅年に御開帳されているそうです。
残念ながら秘仏ということでお写真はありませんが、
割と小さめですが素晴しい仏像でありました。

赤松院のご本尊は大日如来。
このお寺も宿坊ですので、泊まる事も出来ます。
ジュラ紀まであと少し
(写真はHPより)

この本堂ではご住職の法話をお聞きしましたが、
アニマル浜口にそっくりな(本人談)ご住職のお話は面白かったです。
また、寅年のご本尊にちなんて作られたという
かの左甚五郎作の虎の像も公開中です。
ジュラ紀まであと少し
う~ん、でもこれは虎なのでせうか…



そして次はいよいよ高野山巡礼最後の訪問地にして
私が一番来たかった場所高野山宝館 ですビックリマーク

高野山は何度も火事にあってきました。
また、高野山内の100を越す寺院が有する文化財の数は相当なものです。
貴重な文化遺産を守るため、そして自然災害から守る目的もあって
建設された高野山の博物館にあたる建物なんです。

ジュラ紀まであと少し

博物館でも入口からしてお参りしたくなるような造りですね!!
入口から奥へ進むと新館と本館に分かれています。
この夏は「ちいさなほとけさま」という特別展が開かれていました。

ジュラ紀まであと少し-101104_0105~01.jpg


ここには国宝や重文に指定された文化財がた~~くさん!!
仏像好きなら一度は訪れたい場所だと思います (*^o^*)

まずは空海その人の書跡、国宝キラキラ聾瞽指帰(ろうごしいき)上巻
ジュラ紀まであと少し

空海が24歳の時に書いた文書です。
実はこの書を見た時はただただ空海本人の書といことで感動しただけで、
少し右肩上がりだけど勢いのある文字だなぁ、位にしか思っていませんでした。
が、司馬遼太郎の「空海の風景」を読んで、先に知っておけばと激しく後悔あせる
親の意向で大学へ通っていた空海(幼名・真魚/まお)が、
大学をドロップアウトして仏教の道へ進むために、
大学や世話になった伯父、そして両親へ向けて書いた
若かりし空海の決意表明書だったのです!!

この文書には数名の登場人物がおりまして、儒教、道教、仏教のうち
どれが素晴しいのかを論じ合う内容になっています。
わが国初の戯曲形式で書かれた文書とも言われているそうです。
題名の次に書いてあるのが登場人物の名前。
堅物だった伯父をモデルにした亀毛先生(きもうせんせい)が儒教を、
空海自身をモデルにした仮名乞児(かめいこつじ)が仏教を論じる。
もちろん最後は仏教が一番素晴しいと結論が出され、
「だから仏教の道に行かせてください」という内容の文書の
冒頭にあたる部分なのが展示品だったのです。
とういうことは僧侶としての空海、はたまた高野山の原点でもある訳ですね~
どういうものか知っていて見たら感動は100倍だったのに!(ノ_-。)
やっぱり事前勉強は必要です…


星供曼荼羅図(江戸時代)
ジュラ紀まであと少し

この曼荼羅は少し変わっていまして、中央付近の小さな円に
描かれているのは如来や菩薩ではなくて当時の星座です。
いまの私たちにもなじみ深い12星座も描かれています。
色彩のコントラストも鮮やかですね♪


そしていよいよ仏像へ…

重文キラキラ不動明王坐像
ジュラ紀まであと少し

平安後期の作で、怖いというより優雅な感じさえします。
不動明王なんですが、お顔が優しかったんです。
光背の火焔光が流れるような表現で素晴しいですね!
火の先端が鳥の迦楼羅の顔になっているのがわかります。


深沙大将立像(鎌倉時代前期)
ジュラ紀まであと少し

この像は快慶の作と伝えられています。
そういえば東大寺の仁王像と少し似ている気がしますね。
まさに鎌倉ルネッサンスですよ!!


快慶作では傑作がこちら!
重文キラキラ孔雀明王像(鎌倉時代)
ジュラ紀まであと少し

この仏像は孔雀明王も素晴しいのですが、孔雀の表現が
ほんとう~~~~~~にスゴイんですよっ!!
割と大きめの像ですが、孔雀の足2本で全てを支えているそのバランス!
なんていうか…全てが完璧なんです!
もう十ン年も前に東京の国立博物館で展示されていた時に出会いまして、
そこから私の仏像好きが始まったといっても過言ではないです(;^_^A


快慶作が続きますが、こちらも傑作重文キラキラ四天王立像(鎌倉時代)
ジュラ紀まであと少し

ジュラ紀まであと少し

ため息の連続、鳥肌たちっぱなし、ありがたやありがたや…祈
それにしても四天王はどこのお寺でも大抵男前なお顔ですね(笑)
カッコイイ仏像の代名詞でしょう。


そしてそして快慶ときたら運慶。
実はこの霊宝館には、私が一番愛する仏像があります。
あの阿修羅よりも私にはこの仏像達が一番なんですビックリマーク

運慶作、国宝キラキラ大童子立像(鎌倉時代)
ジュラ紀まであと少し

1)阿耨達童子(あのくたどうじ/後世の製作)
2)清浄比丘童子 (しょうじょうびくどうじ)
3)恵喜童子(えきどうじ)
4)烏倶婆誐童子(うぐばがどうじ)

ジュラ紀まであと少し

5)恵光童子(えこうどうじ)
6)制多伽童子(せいたかどうじ)
7)矜羯羅童子(こんがらどうじ)
8)指徳童子(しとくどうじ/後世の製作)

運慶の製作技術が最高潮に達した頃に製作された仏像で、
先ほど挙げた不動明王像を中心にして配置されていました。
童子というからには子供の形体で作られていますが、
肉体の表現や顔の表情、衣や装飾品のつくり……言葉が出ません!
初めて見たのは、約6年前に催された「空海と高野山展」でした。
まずチラシを見ただけで一目惚レラブラブ(というのだろうか…?)
東京に巡回してくるのを待ちきれず、わざわざ京都の国立博物館まで
見に行ってしまったほど私を惹き付けました。
この時は8躯全てが展示されていましたので、東京では1ヶ月しかなかった
展示期間中に何度通ったことか(;^_^A

残念ながら、現在所蔵する霊宝館では8躯全てを
同時に展示することはほぼ無いそうです。

今回拝見できたのはこちらの2躯、

制多伽童子
(せいたかどうじ)
ジュラ紀まであと少し

ジュラ紀まであと少し



矜羯羅童子(こんがらどうじ)
ジュラ紀まであと少し

ジュラ紀まであと少し

もう、説明はいりません… 
どちらも八大童子立像を代表する仏像です。
写実的な慶派の仏像の最高峰といってもいいのではないでしょうか。
それはそれは素晴しいです 感涙


ただ残念ながら、私が八大童子立像の中でも一番好きな恵光童子
今回展示されていませんでした…
ジュラ紀まであと少し

でもいつか展示されたら、絶対見に行きます!!

ここで朗報♪
来年、2011年7月20日~9月25日まで、
「空海と密教美術」展が東京国立博物館平成館で開催されます。
絶対行かなきゃ!! 恵光童子は来て下さるかしら…?


ということで、やっと高野山巡礼編は終わりになりました。
次は京都の東寺、そして比叡山・延暦寺のレポへ続きますDASH!
というか、わたしの記憶が持つかしらん?

また近いうちに、高野山を訪れてみたいと思っています音譜
こうやくん、待っててね~

ジュラ紀まであと少し


そんな事言っても、一体何時になるかいの~??
ジュラ紀まであと少し