『ハッ!射場さん』
すぐに奈美恵は、そのうちの一人が射場である事に気がついた。
奈美恵は、そのまま立ち尽くして、両手の手のひらを口元に当てた。
そのまま目を見開いて動けなかった。
今までの寝不足が、吹っ飛んでしまった。
『ええ?…。なになに』美沙子が、怪訝そうに奈美恵の顔を覗き込んだ。
射場が声をあげた。
『ああ…!こないだのフィールドシート!』
奈美恵はこくりと頷いて、バッグからあの開幕戦のホームランボールを取り出して、チラリと射場に見せた。
射場は全ての疑問が解けた。
『そうだったのか。どうりで見たことのある顔だった…』
と射場は心の中で呟いた。
今度は、射場と一緒の竜田が『射場さん、知り合いッスか?』と口を挟んだ。
そして次には『ああっ!』と美沙子が、叫んだ。
射場は慌てて、奈美恵と美沙子に『しーっ』と人差し指を口元に当てた。
竜田はまったく事態がのみこめない。
兎に角、真っ昼間の往来の激しい地下街だった。
他の人達に見つかったら一大事だ。
射場は静かに囁いた。
『ここじゃなんだからさ、場所を移そう。ね…。君達さ、悪いんだけど、これからピーチホテルのラウンジバーに付き合ってもらえないかな!?』
4人は、足早に、ドックカメラの方角に向かった。
もう、奈美恵も美沙子も、2人が射場と竜田である事が分かっているので、ワクワク、ドキドキとしていた。
奈美恵と美紗子の顔は、にやけっぱなしで、歩きながら時折ジャンプしては反省した。
4人は、誰かに見つかりはしまいかと、ひやひやとしながらも、やっと地上に出た。
そこで射場が切り出した。
『ところで、君達はお酒を飲んでもいい年齢だよね!?』
2人は顔を見合わせて嘘をついた。
元気よく。
『はい!』
奈美恵と美紗子は夢の中のようで、エレベーターの中で4人きりになった時は、幸せ過ぎて気絶しそうだった。
心臓がバクバクと鳴っていた。
バーの店内に通されると、札幌市の北区と東区の夜景が一望出来た。
その夜景をしばらく眺めて、ようやく奈美恵と美紗子は落ち着きを取り戻した。
そこは割と広めの個室であった。
4人には少し広すぎたくらいであった。
奈美恵がもじもじしながら切り出した。
『あの、い…射場さん…。か…風邪の具合は落ち着きましたか⁈』
射場はいつもと変わらず爽やかに応じた。
『僕たちアスリートはね、風邪を治すのもプロさ。もうすっかり良くなってね。ハハハ』
そう言うといつもの笑みを浮かべた。
奈美恵はそれを聞いてホッとした。
あの、千葉での3連戦の初日の事件からは、奈美恵はほとんど眠れていなかった。
竜田は、先輩である射場に絶対服従でついて来たものの、なんの事だかさっぱりと事態がのみこめないでいた。
テーブルの上に、サインボールを置いて、奈美恵が口を開いた。
『射場さん、開幕戦のサヨナラホームランのボールにサインをしてもらえるなんて、とても嬉しかったです』
隣りで美沙子がギョッとした。
美沙子はその時の事を知らなかった。
『ああ。射場さん、あのときの子ですね』
やっと、竜田も納得した。
美沙子はますますと混乱した。
『一体全体…どうなっているの⁈』
心の中で、美沙子は呟いた。
『親友の奈美恵が、あのウォリアーズのライトとセンターの知り合い?』
『あのう…どういった事で、私達は、ここにいるのでしょうか?、私にはさっぱり…』
おそるおそると美沙子が尋ねた。
奈美恵は、事の顛末を美沙子に話して、改めて射場に礼を言った。
『いやあ、照れるなあ。開幕戦のサヨナラホームランだからね…。なんとなく、誰かに持っていてもらいたい。ふと、そんな気持ちになってね』
『これ…私の宝物なんですよ。毎晩、枕元に置いているし、出かける時はいつもカバンの中なんです』
すると、横にいた美沙子が、突然立ち上がり叫んだ。
『ズルい!!』
『私だってファンなんですよお!しかも日本一の時から!』
『射場さん、竜田さん、奈美恵なんて開幕戦の翌日から急に、ウォリアーズ、ウォリアーズって騒ぎ出した、にわかファンなんですよお!』
『そうだったのね!奈美恵!』
美沙子は凄い剣幕だった。
『まあまあ』と竜田が割って入った。
『ええと…美沙子ちゃんだったね、君は誰のファンなの?』
まさか、2人を目の前にして畑中とは言えずに、押し黙ってしまった。
すると射場は『僕たちで良ければなあ』と竜田を促した。
美沙子の目の色が変わった。
『でも、私達は色紙も何も…』と奈美恵が困った声を出した。
射場がそれを遮るように『大丈夫、任せて』とマスターを呼んだ。
そう、ピーチホテルは、有名人がいつも出入りをする、一流ホテルなのだ。
サイン色紙は、常時用意してあった。
奈美恵と美紗子は、射場と竜田のサイン色紙を手に入れて、キャッキャッと喜び合った。
『さあて…飲もうか。明日からのドコモ戦も応援してよ!』
げんきんなものだった。
美沙子は、畑中から竜田のファンに乗り換えてしまった。
それからの時間は、野球の話題と地元の話題で4人の会話は弾み、奈美恵と美沙子は随分と飲んだ。
『あたしぃ。トイレに行きま~す』
そう言って立ち上がりかけて、奈美恵はそのまま倒れこんだ。