万福寺前のバス停から
地図を頼りに歩いて行きます



バス通りを離れると
住宅街で目印らしいものはありません


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右・左…次の角を左と辿って行きます



7~8分ぐらい歩くと
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集合住宅の前に尾崎士郎・宇野千代の住まい跡の解説板が並んで立っています



関東大震災の直前
宇野千代と尾崎士郎はこちらに居を構えたそうです




住まいの周りは大根畑


農家の藁葺きの納屋を手に入れた宇野千代は
バラの壁紙とレースのカーテンで室内を整えたそうです




尾崎士郎の「馬込はいい所だ」という言葉で
作家や芸術家たちがこの地に集まり
創作の場所にしていたのですって





道なりにしばらく歩くと
…右手に…無いなぁ




通り過ぎて振り返った石段の
途中にありました!



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詩人衣巻省三と作家稲垣足穂の解説板です



衣巻の画家の弟が亡くなり
画室がダンスパーティー場になり
萩原朔太郎夫妻・宇野千代・室生犀星・川端康成夫人などが集い
馬込にダンスが広まったとか



神戸時代の同窓生だった稲垣足穂が裕福な衣巻の家に転がり込んだのですが
次第に酒浸りの生活になってしまい
別に住むようになったそうです…




真っ直ぐ進んで左に折れてバス通りに出ます



そのまま池上通り方面に進むと
左手のマンションの前に
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川端康成と石坂洋次郎の解説板があります



川端康成は静かな人で
誘われて馬込に住んだものの
この地に集う仲間たちのノリには馴染めなかったようです


特に、宇野千代や萩原朔太郎の夫人稲子の影響で
妻が断髪してしまったことは、かなりのショックだったようで…


結局一年数ヶ月でここを離れたようです



石坂洋次郎は大学生の頃九州閣というアパートに住んでいて
完成品はなかったようです



バス通りを更に進んで
臼田坂下辺りを右折して行くと
龍子記念館
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向かいには日本画家川端龍子の旧居アトリエがあります
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残念ながらこの日は休館ということでした




このあと環七通りに出て家に帰りました




来年の午年にちなんで
元々源頼朝の馬だった「磨墨」の伝説が馬込にあることも織り込んでみようと思いましたが



私の力では難しいので諦めます…
(。-_-。)





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なぜか…四匹の犬と豚のお散歩をさせていたおじさんと遭遇(O_O)



馬込は落ち着いた品のある住宅街でありながら


少し面白い( ´艸`)





今度は地図の青いルートを歩いてみようかな⁈



長くなってごめんなさいm(__)m



来年の干支にちなんでみたかった…
その気持ちだけ汲んでいただけたら
幸いです(笑)





*解説板の立っている場所は
必ずしも住まいの場所とガッチリ一致するわけではないそうです(^-^)/