泉岳寺
四十七士のお墓へ出入りする所にある門は
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赤穂浅野家の鉄砲州上屋敷の裏門だったもの


明治初年に取り払われる際にこちらに移築されたそうで
大石内蔵助も屋敷を訪れる際に出入りしていたのですって



私ももちろんここをくぐります





伊皿子坂…




魚藍坂…



自営業時代の得意先があるのでこの辺りはバスで通っていました
見慣れた景色の中をてくてく



(調子良く歩いていて立ち寄ろうと思っていた場所を一つ飛ばしてしまいました
(^◇^;))



麻布十番にちょっと寄り道してから
六本木ヒルズを目指します





クリスマスモードになっている
六本木ヒルズ




毛利庭園からは東京タワーが見えます
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実は忠臣蔵にちなんだ場所なのですね





こちらは『毛利甲斐守屋敷跡』

1702年12月15日に藩主毛利綱元が
大目付仙石伯耆守邸に江戸詰藩士300余人を遣わし


屋敷に四十七士のうち10人を収容したのです


幕府の裁きを受け…
1703年2月4日に本懐を遂げたそうです


恥ずかしながら…
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この場所にそんないわれがあったことを全く知りませんでした…(u_u)








ここから六本木一丁目方面を目指して
またてくてく



アークヒルズを背にして六本木通りを渡った先に有るのが
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氷川神社です




『浅野土佐守邸跡』

備後国三次藩浅野家の下邸
初代藩主は因幡守長治、その娘の阿久里が浅野内匠頭の正室だったのです



元禄赤穂事件ののち出家し
瑤泉院と称し1714年までこちらに幽居していたそうです



氷川神社には天然記念物に指定されている
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大銀杏があります


樹齢400年といわれているこの銀杏も歴史の目撃者なのでしょう





ここから虎ノ門へてくてく



南部坂…



汐見坂を通り





ニッショーホールでおなじみかもしれません
日本消防会館に着きました
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こちらは
『大目付仙石伯耆守邸跡』




泉岳寺で吉良上野介を討ち取ったのちに
大石内蔵助は部下の二人をこちらに自首させたそうです



その際屋敷の井戸で足を洗ったということで
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こんなモニュメントが置かれています





ここから新橋方面へ


桜田通りを渡り



日比谷通り




うーん、この通り沿いにあるはず…
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あ!ありました


『浅野内匠頭終焉の地』
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奥州一関藩
田村右京太夫の上屋敷跡

ここで自刃をしたということです

『風さそふ 花よりもなほ 我はまた
春の名残を 如何にとやせん』


辞世の句もこちらに刻まれています




ここでおしまいだと
片手落ちですよね(u_u)



新橋から電車で移動します!




*つづく*