私の父が就職した時に就いていた仕事の延長上に

商いがありました


母も同じ会社で仕事をしていたんです



今では数の多い仕事はコストの問題もあり、ほとんど海外で作られている事と思いますが



私が小さかった頃’70年代は
まだ、数をこなす仕事も日本には沢山ありました


忙しい時は、母が呼ばれて徒歩20分程の父の工場に出掛けて行っていました


小さかった頃は
私たちも工場に連れて行かれ
一緒に過ごしていました



それは土曜日も日曜日も関係ありません
σ(^_^;)





「出前を取る」事はない家だったのですが

工場に行くと出前を取ってくれる…


たかだか(と言いながら、今でも大好き♡)鍋焼きうどんとか
ラーメンとか…なのですが


家で「きょうの献立」として供されるメニューとは違う


私は「これがいい‼」と言える事がなんとも楽しく


この事も「工場は楽しい」のイメージに繋がっていたのだと思います!
(^-^)



子供の足では家から徒歩30分程の道のり


’70年代

練り歩くチンドン屋さんの魅力に抗えず


ハーメルンの笛吹き男に誘われるがごとく…

フラフラとついて行ってしまい…

母に探しあてられた事もありました




私鉄の駅でひとつ半の距離ですが


ほんの少しのドラマがありました
(^人^)



photo:01


簡単な表札ですが
捨てられずにとってあります
(^_-)-☆