盛岡食いしん爺日記
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平成になって数年が過ぎた頃、
北国の地方都市盛岡駅の西口開発のプロジェクトに関わっていた。
盛岡に初の20階のビルを建てた頃だ。
出勤するとデスクの片隅に綺麗になった灰皿があり、
座って煙草に火をつける。
すると、「おはようございます」と、
アルバイトの女性がお茶を置いて行く。
そんな日常の始まりだった。
バス停の辺りや交差点のアスファルトには、
煙草の吸殻が押しつぶされて散乱していた。
今はあまり見かけいないが大リーグの試合では、
ガムを噛む大柄な選手たちがベンチの床に唾を吐く。
いつたい床はどうなっているのだろうと思ったものだ。
いなだ珈琲舎のカウンターでそんな事を思っていた。
3年ほどお世話になった、大正時代開業の盛岡劇場の斜め向かいに松栄館がある。
その1階にいなだ珈琲舎がある。
劇場の真向かいにあったが以前の建物をリノベーションした松栄館に移転。
1階には「松毬(チチリ)-chichiri」という花屋。
2階はユニークな本屋の「書肆(しょし)みず盛り」。
個性的でコンセプトがしっかりしている店が入っていて楽しい。
10年を過ぎた「いなだ珈琲舎」は、
今や盛岡の珈琲の名店と言ってもいいと思う。
開店した頃、既に分煙の時代が浸透し、
盛岡劇場でも檻の様な喫煙場所があり、
煙草族は肩身が狭くなり禁煙する人も多くなった。
私にとって珈琲と煙草は切り離せない物だった。
でも、この店のカウンターに座り、
雑味のない珈琲を飲んでいると、十分に寛ぐことができた。
以前、マスターが珈琲豆をピッキングする眼差しを見て思った。
出入口に車椅子でも入れるアプローチもあったり、
小さなテラスの席があったり、
訪れた人にほっとして欲しいという彼の
客に対する細やかな思いが現れているのだろう。
Royal Blue (1995 Remastered) · Henry Mancini & His Orchestra and Chorus
奥には菓子工房も。
ちょっとした空間もこのとおり。
するりと喉を抜ける珈琲に、
ここに誘った人の顔が一気にほころびる。
その人がチョイスした夏には作らない生チョコレート。
珈琲と交互に味わっている。
私はカフェオレ。
ミルクが珈琲といい具合の安らぎの配合。
後味もよく、ひと口でたくさん飲んでしまう。
ブルベリー ミルリトン。
フランスの家庭で作られてきたお菓子。
ナッツなどの入ったタルトレット。
仕上げに粉砂糖。
添えられたいなだ珈琲舎の生クリームが、また美味しい。
ここに来ると、
煙草の代わりに珈琲とスィーツを楽しむ。
時代が変わってもマスターの元気なうちは、
いなだ珈琲舎は続いていくだろう。
しかし、10年後の社会はどうなっているのだろう。
昔、殆どの大人が高ぶり過ぎる思いや疲れた時の一服を
今の人達は何に求めているのだろう。
片時も離さないスマホの中にあるのだろうか。
「ん?」
私のスマホが震え、急ぎチェックした。
そういう私もいつも傍らに置いているなあ~