盛岡食いしん爺日記
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先日、ある人から花巻市の丹内山神社の話を聞いた。
「丹内神社」と記憶していたが、「丹内山神社」だった。
花巻市の東和町に田瀬ダムがある。
岩手県の北上川水系の治水、灌漑や水力発電を目的として5大ダムが造られ、
田瀬ダムはその一つ。
1年ほど前にダムの周辺を散策した時、通りかかり、
心に引っかかっていた丹内山神社。
仕事が早く済んで行ってみた。
花巻の街から東の東和の方へ。
土沢の街を抜け、釜石線沿いに走り、
晴山駅の辺りを右折し猿ケ石川を渡る。
少し進むと案内板があり深い紅の鳥居が見えてきた。
道路とずれて建っている。
昔の道は鳥居をくぐって続いていたのだろう。
なんだか遠くに来た気分になっている。
Peace Piece · Bill Evans
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この鳥居を見たのだ。
車で行ける道が別にあり、誘導看板があった。
上り坂を走るとほどなく着いた。
境内に入ると爺杉という巨木の根。
2000年を超える樹齢だったが大正時代に焼けてしまったそうだ。
平安時代、弘法大師(空海)の弟子、日弘によって創建。
社伝では、東晴山という地の滝沢の滝に赤子が現れた。
猿ケ石川を渡り、赤子這山という山を頂上まで登った。
そこから丸い石を転がし、とまった所に住むと言った。
石がとまったのが丹内山神社の辺りで村人が社を建てて祀った。
801年には坂上田村麻呂が蝦夷追討の祈願をしている。
源頼義、義家親子が安倍貞任の追討の折にも戦勝祈願。
その後、義家が八幡神社を建立した。
平泉を築いた藤原清衡が信仰し、24町歩の耕地と108カ所の社堂を建立。
しかし、今は残っていない。
古くからの歴史があり色々な人が関わっている。
時代を経て荒廃したが、南部氏によって本堂などが再興された。
肌石と呼ばれ、この石には雪が積もらないそうだ。
また、この手水ばちは日照りが続いても水が枯れない。
一段ごと周りを見ながら上る。
若い人が目立つ。
近年、SNSで話題になったらしい。
地元の彫刻の名人が彫った竹林の七賢人などが本堂の一面に。
上の方に彩色が施された面影が残っていた。
木肌だけが見える社殿は静かな森によく合う。
本殿の裏の巨岩へ。
胎内岩とも呼ばれているアラハバキ神の巨石。
女性が穴を潜ると安産、男性は幸福になるといわれている。
私は、周囲を回った。
真ん中から生えている木が岩を割ったのだろうか。
雪が積もらない石と水の枯れない石のはちを含め、
境内には7つの不思議ある。
どんなに寒くても建物のにつららができないという。
境内には竹が生えず、
本殿の脇に彫られた唐獅子をなめると居眠りしないそうだ。
銀杏の木があるが強風が吹いても境内の外には散らない。
爺杉の幹から桐の木が生えたそうだ。
まだ書ききれない祠や堂がある。
裏山には経塚があり、白磁の壺などが出土している。
そう広くはない山の斜面に密度濃く神々が配置され、
心身が清められる様な霊験あらたかな空気感。
お神籤は大吉だった。
神社を巡りパワーが漲っている。
そうなると、小腹が空いてきた。
花巻に向かう途中、松葉商店のたこ焼きを買った。
ソースではなく醤油味で生姜がきいている。
焦げた醤油の香りに胃が騒ぐ。
美味しい~
ある人が盛岡界隈の薄焼きの味と似ていると言っていた。
気がつけば5個も食べていた。
食べながら思い出した早池峰神社。
心臓のカテーテル手術の入院前に行ったが、
特に祈願のためではなかった。
アスチルベというカフェが目的だった。
あの日、お詣りしていると山伏の装束の方がいた。
思い切って話しかけてみた。
出羽三山を巡り、早池峰神社にもお詣りしに来たという。
本殿の奥の「白龍社」は、伝説の宿るパワースポット。
確かに何かを秘めているような空気感。
山伏に案内をお願いした方と話した。
来月には一日がかりの心臓の手術を受けるため成功の祈願で回っていた。
その方とは比べ物にはならないが、来月入院することを話した。
すると、山伏の方が私の目を見て言った。
「大丈夫、信念を持ちなさい。」
私は深く頭を下げ、改めて神社に手を合わせた。
あの方は、どうしているだろう。
気がつくと、たこ焼きは残り少なくなっていた。
<松葉商店・今は食堂はやっていないらしい、その日は近くの産直あおぞら店で購入>