盛岡食いしん爺日記
<音楽が流れます、音量に注意してください。>
ちょっとドライブのつもりが、
どんどん西へ。
雫石の街を左手に見て国道46号を奥羽山脈にぶつかる。
幾つものトンネルを抜け橋を渡る。
秋田県側は小雨。
「仙岩峠の茶屋」まで来た。
ここに来たら、はずせない名物のおでん。
Natalie Cole - Cuando Vuelva a Tu Lado
<音楽が流れます、音量に注意>
仙岩峠の茶屋は昭和41年(1966)の創業。
その当時、国道はもっと標高の高い所をうねうねと九折の峠道。
茶屋は舗装すらされていない場所にあった。
明治時代、天皇の北巡行の際、
この峠を越え同行した大久保利通が仙岩峠と呼んだらしい。
その頃の道は標高900メートルを越える。
かなり大変なことだっただろう。
昭和51年10月下旬、仙岩トンネルや連結する道路が完成。
一気に秋田県に抜けることになった。
仙岩峠の茶屋も新しい道沿いに移転した。
今は、気軽に田沢湖などに行ける。
道は直線的なルートになり、
江戸時代に比べれば、あっという間に峠を越える。
その短くなった時間を現代に生きる私は何に費やしているのだろう。
ここに来ると色々と考えてしまう。
平成の後半、仙岩峠の茶屋を継いだ2代目の社長が病気になって一時閉店。
しかし、平成29年に復活した。
建物や中の雰囲気、おでんの味は前のままだ。
平成の10年代、田沢湖高原のスキー場によく来ていた。
ワンシーズンに何度も来てはゲレンデから田沢湖を眺めた。
滑り疲れた帰り、よく寄った。
ここで、中華ソバとおでんを食べて元気回復。
当時、おばあちゃんがいて帰ろうとすると、
「気をつけてね」と必ず言われた。
ほかにも多くの想い出がある。
眼下を秋田新幹線のこまちが走り抜ける。
これに乗れば、席に座っているだけで、もっと時間は短くなる。
峠を歩いた時代、昔の人たちは長く険しい道のりで何を思っていたのだろう。
名物の甘めで飴色に染みたおでんがきた。
大根は中まで染みている。
そばや定食などもあるが、いつもおでんと中華そば。
喉越しのよい細麺に絡むスープ。
変わらずに懐かしい味。
窓際の席で絶景を眺めながら食べる。
親子2代で作られた味をよく繋いでくれたものだ。
店を出る時、背中に「気をつけてね」と聞こえた気がした。