盛岡食いしん爺日記
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弘前も好きな街だ。
特に土手町から弘前城にかけてを歩く。
中三デパート近くの駐車場に停め、
土手町の通りから路地に入る。
この辺りは坂元町というらしい。
ここに「名曲&珈琲 ひまわり」があり、
昭和34年(1959年)の創業で65年もの歴史。
前に立つとカメラを向けたくなる。
しばらく眺めていた。
For the Good Times · Perry Como
初めて来たのは十数年前だろうか。
それから何度も訪れた。
決まって2階の席だった。
互いにはにかみながら話している若いカップル。
ネルドリップの珈琲を飲みながら本を読む老紳士。
奥には広いテーブルがあり、数人の御婦人方は賑やかだった。
この街に暮らす人の日常の欠片を見ている。
そんな喫茶店だ。
今もここで働いていた女性を覚えている。
学生のアルバイトの様だった。
ポニーテールを揺らし、
階段を小気味よいリズムで上り下り。
足元は白いバレーシューズで薄い水色のワンピース。
涼し気な顔でトレイを持っていた。
時の流れが乱れてしまい、
青春時代から通っていた様な錯覚に陥ったものだ。
まず、アールグレイを頼んだ。
飲むと、フレーバーな香を残し、喉を過ぎる。
カップとソーサーを見たり、
ゆっくり店の中を見回したり。
ひと口ごと、だんだんひまわりの空間に馴染んでいく。
前に来たのは2021年の秋。
あの時は「藩士の珈琲」を飲み白玉ぜんざいを食べた。
オーナーから飲み方を教わった。
「藩士の珈琲」を注文すると、
「こっちにお任せにする?それとも自分で淹れる?」
運んでくると、
「ほっておいてもいいんだけど時々、布をスプーンで押してね。」
木の小さなスプーンで麻袋を何度も押したものだ。
今は自分で淹れられる。
アールグレイを飲み終え「藩士の珈琲」を頼んだ。
時々、木のスプーンで麻袋を押す。
だんだん褐色になってきた。
急須から立ち上がる珈琲の香り。
そろそろ飲み頃。
「藩士の珈琲」とは、江戸時代、
幕府の命により、弘前藩士が北方警備のため、蝦夷地に赴いた。
厳冬下で病の予防薬として珈琲を飲んでいた。
それを再現したものだ。
当時の幕府の仕様書には、
黒くなるまでよく煎り、
麻袋に入れ、 熱き湯にて番茶の如き色にふり出し、
土びんに入れ置き、砂糖を入れると記されていた。
この珈琲は湯のみで飲む。
見た目より薄い味で、あっさり。
濃い番茶、紅茶のようでもあり、飲みやすい。
茶わんが小さいとはいえ4、5杯はお代わりできる。
普通のコーヒーカップでも2杯分はある。
今日は予定よりもだいぶゆっくりした。
出入り口近くのレジに向かった。
この前きた時、2階は閉めていたが、まだ開けていない様だ。
オーナーに聞いてみた。
色々あって2階は閉めているそうだ。
しばらくライブも開けていないと、ちょっと淋しそう。
いつも2階に座っていたと言うと、
特別に見せてもらった。
以前のままだ。
若いカップルや老紳士が座っている光景が蘇ってくる。
この階段が好きだった。
下を見下ろす席にも何度か座った。
ここでは、ライブや絵画の展示などが多く催された。
前は、何枚もポスターが貼られ、
レジの辺りにはチラシが置かれていた。
見せてもらった礼をいい、ひまわりを後にした。
路を渡って振り返ると、若い二人が入って行った。
そう言えば、前にきた時、
店の写真を撮っていると「ひまわり」に向かう老人が、
戻ってきて言った。
「雑誌か、なにかの取材ですか?」
「ブログに載せようかと。」
と答えると、
「宣伝してね、ありがとう。」
と手を振り、店に入って行った。
50年ほど前からの常連さんだった。
コロナ禍で店が淋しかったので心配だったに違いない。
今日のひまわりは賑わっていた。
この街は、私にとって時間の流れが乱れる不思議の街だ。