盛岡食いしん爺日記
<音楽が流れます、音量に注意してください。>
あれから14年が過ぎた。
3月11日、私は職場の部屋にいた。
揺れ始めて「地震だ」と思っていたら、
しばらく収まらない。
すると、一列に並んだ背丈ほどもある書棚が、
勝手に動き出しジグザクになってきた。
「大きい!」
誰かが思い切り突き飛ばしたかのようにドアが開閉する。
つぎの瞬間、コンクリートの床が突き上げられる。
さらに激しく揺れ出したのだ。
壁伝いにみんなのいる部屋に行くと、
数人が棚を抑えていた。
「壁から離れて真ん中へ集まれ!」
と叫んだが、
このまま建物が崩れてしまうかと思った。
その日から、3日3晩家に帰らず災害対策本部にいた。
Ennio Morricone - Lei Mi Ama - D'Amore si Muore
あっという間に14年が過ぎた。
震災の直後に支援物資を運んだ。
まだ瓦礫のあちこちにブルーシート。
冷たい海風になびいていた。
それでも帰り、区界の峠を越え、
盛岡の街の灯りが見えてくると、
中華そばが食べたいと思った。
時の流れと共に思い出すことが少なくなってきた。
3・11の午後は、あの光景が蘇るが、
被災した人たちが抱える重さはとは、
比べものにならない。
この日は、震災時の写真や動画を整理する日にしている。
5時近くなり、
小腹が空いてきた。
いただきもののお菓子があった。
今菓子司 凮月堂の限定「スクウェア ishigaKi」の半斤。
創業明治5年、銀座から菓子文化を発信してきた老舗。
なるほど「メイドインギンザ」の味。
しっとりとして深みある甘さは、
決してくどくない。
嬉しいいただきもの。
半斤で4切れが純白の箱に入っていた。
ひと切れだけと思って食べた。
喉に残る微かな透明感のある甘味が誘う。
つい、もうひと切れ。
お茶を飲みながら、
さて夕飯は何にしようと思う。
長閑な暮らしの中にいる幸せを思い、
送り主に感謝した日。