JUST FRIENDS ANDREA MOTIS JOAN CHAMORRO BIGBAND
<音楽が流れます、音量に注意>
気がつけば、夜の8時半。
盛岡でも前より早く閉める店が多い今日この頃。
岩山のGEN・KI(ゲンキ)での用事が終わり、
山から下り、バイパスに出た。
「ご飯、一緒にどうですか?」と言われ、
「そうしますか、でも、どこにします?」
すると誘った人が、
「盛岡食堂へ行きませんか、まだ開いてますよ」
賛成してバイパスを西へ。
しばらくして、
全国チェーンの看板が目立つ中に堂々の看板。
着いた頃には二人ともペコペコ。
焼きそばを頼み、餃子を半分ずつを提案。
<盛岡食堂の焼きそば>
久し振りの焼きそば。
せっせと箸を動かすが、なかなか減らない。
皿の底が深い。
そして、餃子。
一個がでっかい!
何か比較できるものを置けばよかった~
一緒の人はご飯を少なめにして、とん汁定食。
横から丼ぶりを撮ればよかった。
広く深いのだ。
「少なめにしました」
と置かれたご飯も多い。
実家にまだ残っている数個の丼ぶりを思い出した。
野球帽のように、深いうえに底が広い。
ご飯もたっぷり入る。
昔々、親類が当時の公務員を辞めて、
とある駅前でそば屋を始めたが、1、2年で店を閉めた。
その親戚のお爺さんから聞いたのは、
「丼ぶりが大きすぎて儲からなかった」
味は良かったらしい。
続かなかった理由は、
見るからに愛想なく見え、怖そうなお爺さんが接客担当。
親戚は、みんなそれが原因だろうと言っていた(笑)
さて、
斜め向かいのとん汁もなかなか減らない。
途中で視線が合って苦笑い。
お客さんは、殆どが学生や働き盛りの人。
若いカップルも黙々と食べていた。
30代にさしかかった頃、
実家に帰ると母が、
あのそば屋で使っていた大丼ぶりにご飯をよそってきた。
流石に、もう普通のご飯茶碗にして欲しいと言った。
ようやく、ほぼ同時に完食、また顔を見合わせ笑った。
二人の額に薄っすらと汗。
満腹って幸せなもの。
ダウンを手に持って外に出た。
すると、
「そう言えば、昔は、いつも大盛りだったなあ~」と言う。
確かにそうだった。
盛岡食堂から歩いて少しの所に、
市の体育館や大学の体育館があった。
試合の合間に何度もここに来た。
遅くても色々なメニューがある盛岡食堂は貴重な場所。
「ん?」昔は「盛食」って言っていたなあ~
色々なことが浮かびだす。
バスケットは、負け試合が多かった。(笑)