東日本大震災、
見た光景は、心に刻まれている。
何かが焦げた化学的な臭い。
がれきに纏わりついたヘドロ。
やけに目だつブルーシートが潮風に揺れる。
今も、思い出すたび、言葉が出ない。
支援物資を届け終え、ガソリンの心配をしながら帰って来た。
盛岡の街の灯りを見た時、
「熱いラーメンが食べたい」と思った。
時々思い出す笑顔がある。
あれは、北アルプスから戻る途中、盛岡で逢った人。
靴以外は、山登りの格好のまま、海の傍の町へ帰って行った。
彼と最後に眼差しを絡ませた人がいた。
何かを言いたげだったらしい。
今年になって、ある人と沿岸に行った。
復興に向かう市町村は、どこの街もコンクリートの防波堤、
広い道路、碁盤の目の区画。
それぞれに個性的だった街並みは、ない。
車の助手席で、うとうとしていた人が言った。
「ここは、どこ?」
「あなたの生まれた街です」と答えると、
兄を亡くした人は、虚ろな眼差しで、
「もう、わたしにとっては、故郷じゃないかもしれない」
暗くなった盛岡の街に戻り、
ひとり、珈琲を飲みに行った。
マスターは、
9年前、広島で修業中。
珈琲豆を担いで、必死で親戚のいる海辺の町へ。
「温かい珈琲で、せめてひと時、ほっとしてもらえたら・・・」
そう思ったという。
<盛岡市・いなだ珈琲舎にて>
「マスター、凄く香りが個性的で美味しい」
と言うと、
「ベトナムの珈琲です」
ときた。
ほっとするひと時。
カウンターのお客さん達は、もう春が近いなどと話している。
あれから9年、
自分が見て聴いた事は、まだ言葉にならない。
ただ、日ごと刻々と街は変る。
街は、生きているんだ。