ひまわり 数原 晋&美野春樹トリオ
<音楽が出ます、音量に注意>
盛岡の隣の雫石町に菜の花を見に行った。
着いたのは、5時を過ぎていたが、まだ陽は高い。
コロナ騒ぎのうちにどんどん時間は流れ、
気がつけば、立夏も過ぎて。
世間の喧騒をよそに、
菜の花は、岩手山と薄曇りの空を背景に綺麗だった。
もうすぐ、春の夕暮れ時
畦道を歩いた。
自然に足取りはゆっくりで、息も深く。
子どもの頃、ランドセルを道端に置き、
菜の花畑に隠れる様に、しゃがみ込んだ。
緑の茎から伸びた菜の花の鮮やかな黄色。
そして青い空。
子ども心にも綺麗に映り、しばらく見とれていた。
十数年前、下北の横浜町に菜の花を見に行った時、
菜の花の背は高く、
母親に手をひかれる子供ほどもあった。
「そうそう、この背丈だった」と思ったものだ。
たいてい、見かける菜の花は、腰にも届かない。
品種が違うのだろうか。
太陽が西の奥羽山脈の稜線に近づくと少し色の彩度がおちる。
これもまたいい。
数年前の取材を思い出した。
この雫石の菜の花から作った「菜の雫」
雫石の「かし和の郷」の小さな作業場で、手間をかけて作られている。
手作業で不純物を取り除き、搾りかすも肥料にする。
農家が有機栽培で作った物を大切にして余すところなく使う。
あの日の夕方に見た菜の花畑は、綺麗だった。
<夕陽が、琥珀色に染めた菜の花を詰めたガラス瓶・かし和の郷>
取材を終えて、さっそく2本、買い込んだ「菜の雫」
あの菜種油で揚げた山菜は格別の美味しさだった。
風が冷たくなってきた。
車に戻ってふと想いだす、天婦羅を揚げる母の後ろ姿。
エプロンの柄は、もう想いだせないが、美味しかった。
そうか、母の日だ。
来週にでも、道の駅にある「菜の雫」を買いに行ってみよう。