<音楽が出ます、音量に注意>
「こんばんは」
「毎度どうも!」と威勢のいい声が迎える。
早めの夕食は「やまや」で更科とかき揚げとゲソ天。
そして大根の粗おろし。
いつもは「だったん」と「挽ぐるみ」の三色の味を楽しむが、
今日は一人の夕食。
あちこちから食べすぎのご指摘もいただいており、少なめに(笑)
<白く細い麺は喉越しが素敵なのです>
そばを待っていると隣のお客さん、
「先に、そば湯ください」
なるほど、〆じゃなくその手もある。
一ついいことを知った。
たれに熱いそば湯を注ぐと香り立つ鰹節。
更科は、そばの実から少しだけしか採れない。
とても美味しい。
口当たりの良いまま喉元を過ぎた。
揚げたての季節の野菜、小海老は、サクサク。
たいてい、何もつけずに。
東京での学生時代のこと。
近所にそば屋を見つけ、行ったてみた。
大盛りざるそばを食べ終わるや否や持ち手と長い注ぎ口の黒い器が置かれた。
蓋を開けてみると白濁の汁。
どうしたものかと辺りを見回したが後から来た夫婦以外はもういない。
食べ終わったテーブルに同じ器が置いてあった。
まだ、田舎から東京に出てきたばかりの5月。
道もろくに聞けなかった頃。
なんとなくそば猪口(ちょこ)に注いでみた。
残った汁に熱い白濁が混ざり、鰹節の香りが立った。
さほど美味しいとは思わなかった記憶。
飲み方が違っていたらどうしよう、なんてことばかり。
あの頃、回りの眼ばかり気にしていた。
今では、笑い話だが、あの時の困惑した自分の顔が、
他人事のように見える。
やまやのすぐ裏手に、宮沢賢治が下宿していた。
そこで使っていた井戸が残っている。
新たに掘られて「賢治清水」と命名され、
道路の片隅の緑地にひかれ、水を汲みに来る人の姿も見る。
花巻で生まれ育った宮沢賢治は、多感な学生時代を盛岡で過ごした。
大正時代の後半にやまやは開店しているが賢治は花巻。
昭和初期に亡くなっているが、よく盛岡には来ていたようだ。
そば好きの賢治も、ここで食べたのだろうか。