<音楽が出ます、音量に注意>
近年、毎年の様に京都へ
どうしてなのか分からないが、行きたくなる「京都」
昨年の6月も京都にいた。
東京の用事を済ませて2時間。
平日の2泊がいい。
<朝は早起きして鴨川沿いのカフェで>
<京都御所近くの虎屋のカフェで、水羊羹と抹茶でゆっくり京都の初夏を楽しんだ>
<近年、好きなのは御所の東の寺町通り>
<箱屋の専門店があるのも京都らしい>
<寺町通りをたっぷり時間をかけて歩く>
<地元の人が集う喫茶店を見つけたり>
<一昨年は秋だった。やはり早起きして祇園の散歩>
祇園に泊まり、しっかり朝食。
米の香りがして甘く、噛んでいるといつの間にか消えている。
赤出汁、小皿が白いご飯を引き立てる。
「どうしたらこんな風に炊けるのだろう?」なんて想いながら食べたっけ。
朝は、京都を背景に暮らす人の日常を眺めたり。
年を取るにつれて「旅は出逢い」になってきた。
旅の人や地元の人に「一枚、いいですか?」と声をかけたり。
「京都」を想う度、想い出す
父が仕事一筋の生活を終えた翌年のことだった。
「母さんと京都や奈良へゆっくり行って来る」
初めて聞いた二人きりの旅は一週間の予定。
お出かけ好きの母は、何を着て行くかと有頂天だった。
ところが二日目の夜、家に帰ると二人揃って普段着でいた。
静かで特に母は無口だった。
父は、当時の出張感覚で京都の宿を予約していなかった。
行ったのは2月上旬で受験シーズン。
結局、京都駅で一夜を過ごす羽目に。
夜が明けて母は、低い声で「帰る」
「二度とお父さんとは出かけない」と話す度に怒り、なかなか笑い話しにならなかった。
父は、汚名挽回を狙っていたが、母の人生は終わってしまい、すぐ父も癌に掴まった。
「慈眼を持て」と残して母の下へ。
朝の三十三間堂は、混雑もなく
建立以来、脈々とと続く障子の張替えを眺めたりも。
人を惹きつけて止まない京都を守り創って来たのは暮らす人なんだ。
「何故、京都に行きたいのか?」
まだ分からないが今年も半年が過ぎた。
焦らず準備をしよう。
昨年の初夏、京都を歩いていると友人からメール。
「ほんとに今、京都なの? だったら証拠を持って来なさいね」
これには笑った。
お土産を選ぶのも楽しい京都、いつも買いすぎる。