<金宝堂の元祖「とんてき」>

 

 

 

盛岡駅での用事を済ませた夕方の帰り道。

駅前を開運橋の方に二人で歩いていると地下の看板に眼が止まった。

洋食「リストーロ・ 金宝堂」

おや、懐かしい、とんてきだ!

 

 

丁度、胃も騒ぐ時間。

夕飯食べて解散することにした。

階段を下りた。

 

 

いつからだろう?

地上とフラットだった店が地下になったのは?

そんなことを話しながらドアを開けた。

 

店の中は、初めて見る光景。

たぶん、改装してから入ってなかったのだろう。

一緒の人は、

「初めて入ります、洋食屋さんですか」

と座りながら中を見回している。

 

 

メニューを見て迷う二人。

元祖とんてき、ハンバーグ、ビーフカツレツ、カキフライ、焼きカレー、コロッケ、ナポリタン、

オムレツなどが並ぶ。

 

あれもこれも食べてみたくなる。

向いは「元祖「とんてき」と決めた。

ハンバーグにした。

 

 

考えてみれば、盛岡では洋食屋の響きはあまり聞かなくなった。

 

 

オニオンスープ

香りもいい、底に沢山のオニオンがあって美味しい。

 

 

とんてき

「スパイスが効いて美味しい」と向いの人はもりもり食べている。

 

 

ハンバーグ

一週間ねかせたデミグラスソースだけあって、

肉厚のハンバーグをコクが包む。

とても美味しい。

ポテトさらだやスパゲティも美味い。

 

 

 

 

 

 

 

「洋食屋とは、なんですか?」と聞かれた。

 

盛岡劇場は開業百年を越えている。

大正の末期から昭和のはじめにかけて劇場の隣にレストラン大洋軒があり、

宮沢賢治も洋食を楽しんだという。

当時はどんな衣装で、オムレツやカツレツを食べて、どう思ったのだろう。

きっと洋食の美味しさに驚いたのではないか。

和食に加えて西洋料理が普及し大正時代は「食」が活き活きと輝きだした。

大正ロマンは食もに賑やかだったのだろう。

もともと明治時代に西洋料理を日本人向けに調理し、大正時代に流行りだした。

今や家庭料理でもハンバーグをはじめ人気のメニューとなっている。

そんなことを話した。

 

 

盛岡では、数少なくなった洋食屋。

家に帰って調べてみたら、

リスト―ロ・金宝堂の歴史はホームページによると、和菓子屋として創業。

1950年代に洋食屋となったと書いてある。

創業大正12年だと、もう95年になる。

和菓子屋から洋食屋となり、脈々と金宝堂は続いて来た。

 

また早々に来て、ビーフカツレツを食べてみたい。

今夜は洋食の夢を見たい。