<音楽が出ます、音量に注意>
<作年は、2万本と言われありすた秋桜(コスモス)に囲まれたカフェ「アリス」 >
<アリスで飾っている写真から>
2万本の秋の桜、コスモスを見れず、残念
今年は、秋桜畑こそ無くなっていたが、アリスを囲むように咲いていた。
綺麗に咲いていた。
やはり、一目でも、夏の終わりを告げる秋桜の花畑を見たかった。
昨年、ある人から、紫波町の「アリス」のことを聞いていた。
今にして想えば、その時に「行って見て感じる」ことが大切だと思い知らされた。
昔々のこと、高校生にまで遡る。
学校からの帰り道。
肩を並べて歩いていた。
もうすぐ夏休みが始まる頃。
その子の家の数軒先まで、歩いて来た。
ふいに、こちらを向いた。
「ボートに乗ったら気持ちいいだろうね~」
真っすぐな二つの眼。
背の高い高校生は、黙って微笑むのが精一杯だった。
駅からの帰り道、その子の家までは、ほんの数分。
ようやく、その年の春、数分の楽しみに辿り着いた。
しかも、その子は部活で、自分はだらだらの放課後。
駅で出逢うことは、列車の本数が少ないとはいえ大変だった。
「ボートに乗ったら気持ちいいだろうねえ~」
思春期は、どぎまぎして考え過ぎる。
「一緒に行こうってことなのか?」
「ただの、話なのか?」
「誘ってくれってことか?」
一瞬、立ち尽くした。
「じゃあ、さよなら、ちゃんと宿題やってね」
屈託のない笑顔を残し、家の中に消えた。
立ち尽くしているわけにもいかない。
ゆっくり歩きながら、呟いた。
「夏休みになったら乗りに行こう。勇気を出して誘ってみよう」
窓の傍に咲いた秋桜を眺め、珈琲を飲みながら想い出に浸る。
なかなかいいものだ。
パウンドケーキとフルーツも
東京に進学し、4年生だったと想う。
その子は地元の学生。
東京から帰省した夏にボートに誘った。
漕ぎながら、高校時代の事を話した。
「あの頃はさ、誘いたくても声にならないんだよ」と言うと、
小さな湖の風に流れる真っ黒な髪を抑えながら、
「そんなことあったかなぁ? ほんとに?」
湖面にさざ波がたちそうなほど、笑うから、つられて大笑い。
その後は、よくありがちにやりとりも無くなっていく。
二十数年の後のクラス会で逢った。
二人でボートに乗った話をすると
「え~そうだったかしら~」
と微笑みつつ、
「あ~ たしかにそういうことあったわね~」
その人は、懐かしそうにな顔になり、自分も目を細めているのが分かった。
その頃、ボートに乗ったり、遊びに行ったりともっと仲良くなっていたら?
なんて考える歳でもない。
でも、「その時」は、逃さない方がいいと想う。
歳を重ねるほど、アクティブになって、その時を大切にした方がいい。
そうすれば、2万本の秋桜畑の中、
どれほどの感動を胸に抱えて珈琲を飲んでいたことか。
盛岡食いしん爺の「夏の終わりの独り言」