<音楽が出ます、音量に注意>
美味しい珈琲と過ごす時間は、暮らしの一部になっている。
もうすぐやって来る凍てつく盛岡の冬だって、
コートの雪を払って、テーブルに二つの珈琲が並ぶ。
カップの湯気が行き交う言葉に絡まり、心も温もる。
盛岡界隈には、小さな宝石の様なカフェが多く、一つ一つが違う輝き。
それぞれのカフェで、過ごすスタイルも違う。
人と語らう。
一人で想い巡らす。
打合せに丁度良い大きなテーブルのある店。
盛岡劇場向かいの「いなだ珈琲舎」
自分が何かを始めようとする前、ここのカウンターの片隅でマンデリンを呑む。
いなだ珈琲舎のマスターを語ると長くなるので、かいつまんで語ろう。
彼は、音楽を志し広島の音大へ。
広島にすっかり居ついて、珈琲の修業。
そして故郷に戻り、料理の修業もしたりして腕を磨き、盛岡で「いなだ珈琲舎」を始めた。
<カフェの隣に出来た、いなだ珈琲舎の焙煎工房>
カウンターとテーブル一つ、十人も入れば満席の店。
マスターが目指すのは無駄を除き、雑味の無い珈琲なんだと勝手に想っている。
「うちの珈琲で、ひと息入れて欲しい」
ちょっと鋭い眼差しになり、
「珈琲には、ほっとする時間を創る力があると信じています」
東日本大震災。
広島から豆を担いで、被災地にやってきた。
「温かい珈琲で、ほんのひと時、「ほっと」してもらいたかった」
雑味の無い珈琲がいい。
電話で席を立ち、戻ると粋な気遣い。
洒落た蓋がカップにのり、温もりを閉じ込めてあった。
「盛岡食いしん爺のもりおか自慢」の表紙を飾っていただいた、
盛岡芸妓の「とも千代姐さん」もいなだ珈琲の常連の一人だ。
珈琲を楽しんでもらうために季節によって、生チョコレート、パウンドケーキ。
苺の季節、葡萄の頃には、ジュースも。
これがみんな美味しい。
<葡萄ジュースは、紫波産。葡萄の魅力がグラスにびっしり>
「いなだ珈琲舎は焙煎の店」だという信念の下、
自分の珈琲豆をより多くの人に知っもらいたいと考えたのがドリップパック。
彼は、もっと珈琲の魅力を広めたいと考えている様だ。
できたての焙煎工房
一つ一つの工程を自分の眼で見極めていく。
珈琲屋は、失敗を重ねながら、進化していく職人だ。
輝く焙煎の機器と並んだ彼は、ちょっとした自信を手に入れた様に見えた。
ONとOFFの切り替えが上手そうに見えていたが、そうでもないかもしれない。
きっと珈琲のことが頭から離れない男なのかもしれない。
隣のガラスに掲げた「菓子工房」の字が気にかかる。
楽しみにまっていよう。
彼が目指すものを見ているのは、とても楽しい。
モーニングから始まり、19時。
いなだ珈琲舎の閉店。
店の後片付けを手際よくしながら、また何かを考えている姿が浮かぶ。
何かに向かい、孤独で苦悩している様な人は、実は幸せなんだと誰かが話していた。