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北国の八月

夏祭りの後は、ひと息ついてお盆。

樺を焚いて迎え火、花を抱えて墓参り、名残の送り火。

盆を過ぎれば夜風は、涼しさを越え、剥き出しの腕を擦ったり。

でも、今年は、まだ夜になっても虫の音が聞こえてこない。

 

8月13日、午後から東北自動車道を南下。

車のエアコンをつけっ放しで走るのは好きじゃないけれど仕方ない。

盛岡から一関までは、ほぼ一時間。

 

一関で、母の実家や親戚を回り、父が思春期を過ごした平泉、それが終わったら、

本家のある奥州市で、「すき焼き」を食べたい。

 

帰り道で、食べると決めた「ささ忠」さんの「すき焼き」

 

 

お盆の親戚回りは、いつもの勝手な一人のドライブとはいかない。

午後2時半には、一関の母の実家に着く予定。

先に、お寺に。

 

ドラマの墓参りみたいに桶に水を汲んで。

 

 

 

 

祖父母の他に早く逝きすぎた伯母そして従兄が眠る。

一人一人の顔を思い浮かべる。

自然に目を手を合わす時間も長くなり、いつも蘇る伯母の最後の声。

「あなたは、うちの子達と違って勉強なんかしなくても大丈夫」

今も、その意味が分からない。

 

 

線香の匂いに花の香、そしてミンミンと蝉の声。

鳴くだけ鳴くがいい、地上に現れたった一週の命だ。

 

昔のお盆の墓参りは、どこのお寺でも沢山の子供の声がした。

蝉の声を聞き、蓮の葉にお供え物が包まれていた。

今ではカラスの食べ物は見当たらない

 

親戚を回る。

家で、一人暮らしのおばあさんが二軒続いた。

とても歓迎してくれる。

杖は突くが、二人とも口は達者。

聞いたことのある話も多いが、新たな母の話も聞けたりする。

親戚の殆どが母を追い越してしまい心に残る母だけ若いまま。

 

一関を後にして、父が思春期まで暮らした平泉へ。

生前から家も無くなっていたが毎年寄りたいと言った。

「ここで、友達と皆で、ドジョウを獲ったり、走り回ったなあ~」

などと何度も聞かされた。

物心ついてから中尊寺や毛越寺には、しょっちゅう。

ひとり駆け巡って遊んだ無量光院跡は今では池まで復元されている。

 

 

 

 

京都の平等院鳳凰堂を模して藤原氏が鳳凰堂より少し大きく建立した。

北の大地で浄土を目指した藤原氏百年の栄華は、都への強い意識を感じる。

 

 

さて、陽も暮れて空腹。

奥州市の「ささ忠」さんで、ささ忠特選牛のすき焼き

 

 

 

 

 

 

電話でなんとか予約できた。

帰省して集まった家族なのだろう、つい立や襖の向こうから零れる笑い声。

小さな頃のお盆は、精進ぽい料理が多かった。

 

さて、しゃぶしゃぶ派、すき焼き派、

流石に肉屋さんの選んだだけのことはある。

とても柔らかくタレに染みた牛肉は、美味しい。

色々な旨味が沁み込んだ糸こんにゃくと〆のうどんが、また美味しい。

疲れも吹っ飛び、元気になっている。

それぞれに美味しい平成最後の夏の夜も笑い声と共に更けていく。